「被災地から被災地へ」―佐用町から石巻市住吉へ

2011年6月30日 木曜日

村井雅清(むらい・まさきよ)

2009年8月水害に遭った兵庫県佐用町で焼いた竹炭約1トン(100紙袋)を、東日本大震災の被害のあった宮城県石巻市住吉にある石巻中央公民館住吉分館に運びました。6月28日に佐用町で炭を積み込み、翌29日早朝4時30分に神戸を出発、12時間トラックで走って届けてきたのです。

佐用町からの第一号としての炭は、まだかまだかと待ち受けてくださった自治会長さんと日本財団のスタッフ及び現地にいたボランティアとで、手際よく広さ約30畳の公民館に敷き詰めました。100紙袋の炭はすでに消毒のため散布された石灰の白い粉を覆うように、手際よく5人の手で敷かれました。佐用町上月竹炭生産組合指導のもと当NGOスタッフである社会人1年生と大学4回生とで焼いた炭は、丁度床下一面に過不足なく敷き詰めることができ、作業はわずか30分で完了しました。

紙袋の口ヒモをほどき、白い土の上に撒くと、竹炭独特のキンキンという金属音が響き渡り、2009年の佐用町での水害後の同じ作業を思い出しました。こうして耳に残っている音というのは、しばらく聞いていると懐かしく蘇るものです。自治会長さんも「水害後の大変なときに、しかも遠いところから運んでくださってありがとうございます。」と丁寧にお礼を言われ、こちらの方が恐縮するほどでした。

この住吉文館は旧北上川河口のすぐ際にある「大島神社」の敷地内にあります。床上2メートルほどの壁に黒い泥がついており、津波が押し寄せて来た状況が想像できます。ここの大島神社の敷地は、皮肉にも災害時の「広域避難所」になっていましたが、当然今回の津波では避難所の機能は果たせませんでした。しかし、神社が被害を軽減させたと言えるかも知れませんが、境内の川の側にある立派な松ノ木や鐘楼台は全く被害がありません。

川淵に「住吉公園」というところがあり、普段、時間帯によってはウナギ釣りの人たちでいっぱいになるそうです。ここのウナギは「青ウナギ」と言って評判だったようです。もう一つ名物になったのは4ヶ月前から住みついた一匹のアヒルです。なんと津波にも耐え、またこの公園に無事戻って来ました。餌をやっている人もいて、みなさんの人気ものになっています。「名前はなんて言うのですか?」と聞いたら、「さぁ、アヒルちゃん!とか、いろいろ呼んで入るみたいだけど・・・。」と笑いながら返してくれました。

石巻の海岸には「日和山」という小高い山があり、その南西に位置していた「南浜」という地域は、日和山から眺めると一望できるのですが壊滅という状況には言葉がありません。こうした情景は、今回の被災地のどこの地域でも共通するものですが、ただ(私も石巻に入るのは初めてだけれども)、ここの場合は、石巻駅や石巻市役所のある市の中心部にまで甚大な被害が及んでいることが、より深刻さを増しているようです。あれから3ヶ月半が過ぎたにもかかわらず、復旧すら充分にできていない現実に言葉がないほど、悲惨な被害となったことが理解できます。旧北上川の決壊した護岸に応急措置として土嚢が積まれている光景は、「高潮対策とはいえ、これでどれほど役に立つのだろうか?」と正直な気持ちになりました。

早い段階のNHKの調査で、避難所で人が亡くなったということを聞きましたが、ここ石巻でも避難所で亡くなった方がいたようです。石巻市役所の災害時の資材倉庫は地下にあり、今回まったく役に立たなかったと怒りをぶつけていました。全く津波を想定してなかったのか?話を聞かせてくださった60前のこの男性は、昭和三陸地震も経験していないので、まさかこんなことになろうとは想像していなかったとおっしゃっていました。こうして先人が遺したメッセージは届かなくなるんだなぁと痛感した複雑な1日となりました。翌30日早朝、「南浜」を歩き、津波の爪跡をできるだけ身体で感じながら、石巻を後にしました。


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