2014年04月


日本から、スペインのバルセロナへ そして南米のペルーへ!! Makenaizo elephants travelled so very far… from Japan to Barcelona (Spain) and to Cajamarca (Peru)!!

2014年4月30日 水曜日

【スペイン バルセロナ在住のまけないぞうサポーターの真里さんからのお便りです。】
0429cajamarcakids「素敵な写真があるのでシェアさせて頂きます。
これはペルーのカハマルカという、標高2700メートル、アンデス山脈の上の方にある街にお住まいの可愛い二人の女の子とまけないぞうさんの写真です!
実は、昨年私がバルセロナにて、我謝京子さん製作の『311:ここに生きる』というドキュメンタリー映画の上映会を開催した時に、バルセロナで私が仲良くしている内山りえちゃんという日本人のお友達がペルー出身の旦那様と共に二人して来てくれたのですが、ちょうど時期を同じくしてペルーから遊びに来ていた旦那さまのお兄さんも来場。
その際に私たちが上映会場にてご紹介していたまけないぞうをべル―の娘さん二人のお土産にと購入してくださり、その後、このぞうさんをそのお嬢ちゃん達がとっても大事にしてくださってるそうです!
日本からスペイン バルセロナに渡ったまけないぞうさんたちが、スペイン経由でなんと南米ペルーに飛んで行き、アンデス山脈沿いの街にて こうして可愛がられています!
そのことを是非作り手さんの皆さんにお伝えしていただければとっても嬉しいです!
—–
真里さん、とっても素敵なお話とお写真をどうもありがとうございました!
日本からスペイン経由ではるばるペルーに渡ったまけないぞうさんがあちらでもいっぱい愛されているという素敵なお話、とっても感激です!

人の手からまた別の人の手へ。負けないぞうさんを介した絆が世界中に広まっていることのまさに象徴のような素敵なお話&お写真ですね!

被災された皆さんが一針一針心をこめて作られたまけないぞうさんが皆さんの温かいお気持ちという翼を得て、日本からスペインへ、そして南米ペルーまで旅をして、アンデス山脈沿いの街で愛されてる・・・ 作り手の皆さんに、アンデス山脈にまでぞうさんが届いていますよ~!と是非お伝えいたしますね。
そして、このようなお話がこれからも世界中で沢山生まれますように、makenaizoneも応援を続けます。
どうぞご一緒に引き続き宜しくお願いいたします! (^o^)/

カハマルカCajamarca)はペルー北部の都市。標高2750m。山に囲まれた盆地にある町です。カハマルカ県の県都でもあります。

町並みは植民地時代の面影を濃く残し、インカ帝国最後の皇帝アタワルパがフランシスコ・ピサロによって幽閉された地としても知られるところなのだそうです。cajamarca

 

 


2014.4.29

2014年4月29日 火曜日

ゆで卵時間まちがふ昭和の日

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2014.4.28

2014年4月28日 月曜日
昨晩のNHKスペシャルの「女性たちの貧困」。
あるネットカフェでは80%が女性だという。10年前のネットカフェに居た男たちはいったい何処へ行ってしまったのだろう。
女性の貧困は、主に男性との賃金格差の問題が大きい。
しかし、本当にそれだけなのだろうか。いざとなれば、男は福島に行けば何とかなる・・・。そんな事ではあるまいな。次なる人員は女子までも・・・、まさかまさか、そんなことではあるまいな。
そら耳や静心なく亀ぞ鳴く
ふって湧く空耳アワー夏隣

 

 


2014.4.27

2014年4月27日 日曜日

漆黒の闇に忽然花あるる

 


2014.4.26

2014年4月26日 土曜日

1986年4月26日午前1時23分にV・I レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所の4号機で爆発事故が起こった。

発電所の近郊にあった、原子力従事者の街プリチャチは、人口5万人、平均年齢25歳、年間出産数1000人の若い街だった。

今ではゾーンと呼ばれる中にあるその街は、事故直後から高い線量に覆われたが、事故の知らせは全くなく、発生から36時間後に突然バス1200台と1500座席ある列車3編成が用意され、たった3時間で強制退去が執行された。

多くはそのままキエフなどの大都市に避難させられ、事故後2ヶ月で、事故前と同規模のアパートメント、事故前と同等等収入の仕事、5万人全員の詳細なる検診が行われ、現在も最低年に一回は検診が続けられている。

昨年、キエフに避難してこられたゼムキャリというNPOのメンバーから話を伺ったが、事故の後のソビエト当局の対応には、正直かなり驚いた。

日本は何をやっているんだろうか……春のキエフでとてつもない焦燥感に見舞われたものだった。

そんな避難など、双葉町にはなかった。検診も、住まいも、もちろん仕事もだ。

いま福島では、双葉八町村のみならず、飯館村でも帰村に向けて途方も無い除染計画が、既に2年近く前から進行している。

まず、第一点として、何故に空間線量だけで判断をしているのだろうか。

しかも単にγ線を測っているに過ぎない。

本来ならば全核種を測るべきであろうし、少なくとも300mメッシュぐらいの詳細な土壌調査をして、γ線のみならずβ線もしっかりと測った上で、村に帰るか否かを首長ではなくて個人に判断する自由があってしかるべきではないだろうか。

いや、本来は、全ての人々に避難の途を強制するべきだっただろう。帰りたいと思う人だけにスペシャルメニューを考えれば良かったのではなかったか。

先行して帰村宣言をした川内村にも、今既に無理が生じてきてやしないだろうか。

また、数年後には広野町に中高一貫校の設立も進んでいる。中高生をわざわざ広野町に集めてどうするのだろうか。

わたしたちの国は、その第一歩から、何かが決定的に間違ってやしないだろうか。

「いつか帰れる」という希望は、住民票を残すことで法的にも精神的にも、ある程度満たされる話である。

「しかし今は帰らない」という選択を、もっと多くの住民が個人の意志で行えるような、そんな言論環境も含めたバックアップを誰かが用意するべきではないのか。

原子力災害というのは、今までこの国が体験したことがない災害なのだ。

今までの災害復興の論議は、何一つここでは通用しない。否、通用させる必要も無い。

全く無の状態から、いま一度、私たちの国は原子力災害に対峙してゆく必要がある。

子ども・被災者支援法はそういう意味で、今の状況を救えるような立て付けにはなっていない。

飯館のある被災者の50代の夫婦を、南相馬の仮設住宅に訪ねたとき、その大きな仮設住宅の活気のなさに、わたしは自分の目を耳を疑った。

阪神淡路大震災以来、色々な仮設住宅を見てきたが、ボランティアなどの中間支援が一切入っていない仮設に出会ったことがなかった。

これ一つをとってみても、どれほどにこの災害の特殊性が際立っているのかが分かるエピソードであろう。

今からでも決して遅くないと信じつつ、「帰らない」という選択をもっと容易にするための、二重住民票や小規模集団移住、セカンドタウン制度など、土地に縛り付ける今までの法的観念を取っ払って、人の移動を容易くするメニューを広げて支援をしてゆけないだろうか。

残念だが、までいの村では元の暮らしが成り立たなくなってしまったのだ。正当にそう判断することが、住民の心の安寧に最も寄与するものなのだということを、わたしたちはもっと心に刻んでゆくべきだと思う、チェルノブイリ事故から28年目の未明である。

 


2014.4.24

田原節子さんが亡くなってから、今年で10年になる。

それで娘さんの江川綾子さんと北原みのりさんと集まった。

綾子さんとは、一時は何というか介護の同志というか家族みたいなものだった。みのりさんとは10年前の節子さんの「偲ぶ会」を京橋でやって以来のお付き合いだ。

今夜は銀座の沖縄料理屋さんで、節子さんを偲びながら、気がつくとずっと地震と福島の話をすることとなった。

それにしても、もう10年も経ったのか。

晩年の節子さんとは、それはそれは濃密な時間を過ごさせて頂いた。

ウーマンリブの話し、女性と社会の話し、政治の話し、時事の話し、食べ物の話し、石原慎太郎氏の東京ウィメンズプラザ潰しに反対する集会も一緒に行ったっけ。

毎日毎日、よくもあんなに話が続くものだというぐらい、沢山の話をした。

今夜も会話の途中で、もしも節子さんが生きてこの時代を見たら、何と言っただろうか何度もその話しになった。

節子さんの教えや印象は、娘である綾子さんや、取材の相手であったみのりさんと微妙に違うのだが、たぶん節子さんが生きておられたら、「最後の一人になっても九条を守りなさい」「もっとしっかり福島の女をサポートしなさい」と言うに決まっている。

福島には声をあげられないママたちがたくさん居る。あげていた声が続かなくなっているママたちがたくさん居る。どうにもならない女性たちが(もちろん男性たちも)たくさん居ることだろう。その人たちを、東京のアシストが可能な女たちが寄り添って支えてゆくのは、ごく当然のことだろう。

たった今、わたしたちは世界史に残る事故の当事国に生きている。しかも、その事故を起こした発電所からの電気をたっぷり使って生活をしてきたのだ。だから、東京の私たちは出来る限りをしなくては申し訳が立たない。

福島の若いママたちをこれ以上孤立させてはならない、心からそう思う。

必然的に311以降の話しになったのだが、阪神大震災以来、災害復興をずっと見て来て、この311ほど震災に対しての人々の反応で性差を感じた災害はない。

実際にはもう既にこの国では、事は「男である」とか「女である」とか「若い」とか「若くない」とか「支配階級である」とか「無い」とか「体制側」とか「反体制」とか「右」とか「左」とか、そういう単なる社会的区別・マーカーは、有っても無くても関係ない状況に入りつつあるのだが、敢えていうならば「子どもの命を目前にしたママたち」が最も大きく被害を受けた震災だった。

そういう観点から311を見てゆくことで、もしそう言ってよければ節子さんを充分に偲んだ夜になった。

きっと節子さんが元気だったら、今ごろ一緒に福島に行っているに違いない、などと思いながら、みのりさんと来月の福島行きを約束して帰路についた。


2014.4.23

今夕の銀座は一昨年前の国会前デモでも見た事なかったぐらいの、大戒厳令になった。

そこまで無理して、銀座のちっちゃなお寿司屋さんに、米国大統領をご招待するほどのことだったのか?

銀座のお寿司屋さんでもとびきりの名店だし、そんな身の丈に合わないところに行った事ないのだが、だったらもっとセキュリティーの良いホテルの中のお寿司屋さんでも良いのではないか?

TPPの交渉や集団的自衛権行使や沖縄問題や数多の諸問題が日米の間にあるのだが、オバマさんも安倍さんも忙しいだろう。だから銀座なんかに来なくて良いではないか。

いま、この銀座の高級店にお寿司など食べに行ける人々は、どんな人なのだろう。TPPは、こういう店でお寿司が食べられる人々と、回転寿しさえ食べられない人々の溝を、どんどん広げることに加担するはずなのだ。

他の分野の詳しい事は知らないが、医療分野ではTPPが締結されれば、医療格差がドンと広がることになる。だからTPPには断固反対だ。

オバマ政権になって、貧富の格差がより開いたと言われているが、日本も安倍政権になってデフレ脱出するという触込みで、富の再分配が不均衡をきたしているとしか思えないのだ。

かと言って、デフレは克服できたかと言われれば、全く違う。逆に、行き過ぎた円安誘導に因って、家計は苦しくなってやしないだろうか。そこにもってきて、消費税率が引き上がった。

消費税が上がって3週間以上経つが、日々の暮らしが厳しくなっているにも関わらず、STAP狂想曲があり、韓国の転覆船の報道に助けられて(あの「見せ物報道」止めんか!、マスコミよ。あなたの愛する人があの船に乗っていたら、あんな風に話せるのか?)、生活がシンドくなってきている人々の声が出てこない。

間接税が8%なんて、年収で言えば一ヶ月分が消費税になるのだ。それが生活を直撃しない訳がない。第一、自分たちの行く末を心配していない人なんて、この国にいるのだろうか?

今の状況は、かなりの「お金持ち」でも心配だと思うのだ。医療や介護は、自分がそれを提供する側に居てさえ、心配で心配で居られない。

ましてや、非正規社員や社会的にも個人的にも拠るすべがないno help , no hope , no happiness の人々は、どうすればいいのだろうか。

所謂、グローバル経済がインターネットの時代に蔓延ってしまったのには、時代の成すところでもあったのだろうが、そこに富の再分配をナショナルミニマムとして入れ込むことを「佳し」として最善を尽くすのが、行政マンの矜持ではないのか。政治家の最も大切な資質ではないのか。たった一部の人々が富んで、多くの人々が不安な世の中では、何のための国なのだろうか。

いま、この国は有史以来の存亡の危機の最中にあるのだ。これから起こる南海トラフ地震や首都直下地震から先には、国自体に復興という途は実はない。

沢山の災害が起こったあとに共通して起こる事は何か。それは貧困だ。貧困しか残らない。それが分かっているのだから、もっと知恵を絞れば救えるかもしれないのだが、これが全く見ないフリをしているのだよね。政・官・財・学・メディアが揃いも揃って。

で、この期に及んで、原子力協定が参院を通って原発輸出が決まり、英国からパシフィック・グリーブ号で高レベル廃棄物のガラス固化体が青森に帰ってきた。

しかし、こんな生活、もう本気で止めようではないか。日本には本当に時間がないのだ。韓国の船の往くえ(それはそれで、とても気の毒で何か手伝うことができれば良いと思うが)に気を取られていないで、というか見ないフリするのを止めて、もっとしっかり先のことを考えようではないか、銀座でお寿司なんか食べてないでさ!

追伸 55歳以下は食べちゃダメだが、JR福島駅のエキナカにある回転寿し屋さん。最近では一番気にいっているお寿司屋さんだ。福島に行く度にここでたらふく中トロを食する。ここなら、いつだってオバマさんをご案内してあげるぜよ!

 

厳戒令寿司ぞ喰らひに青やなぎ


2014.4.22

6:22千葉県東方沖地震M4.6あり


2014.4.20

 

カーブ切る遠心力や穀雨降る


2014.4.19

19日は関西学院大学の災害復興制度研究会@丸の内。
本年は、ともかく被災ママや避難ママたちを繋ぎたいと思い、津市から脇ゆうりかさんに来てもらって、今年度のアウトラインを話し合った。

脇ちゃんとは16〜7年前に銀座の防災担当として、一緒に仕事をして以来の仲間だ。
311以前から、わたしの災害に関する思いや考え方を一番理解してくれているのが脇ちゃんだ。ちなみに、わたしは脇ちゃんのことを「大後輩」と呼んでいる。

「大後輩」というのは、自分よりも年下だがとても尊敬できる友人のことで、現在、脇ちゃんをはじめ5人ほど「大後輩」に認定している。
青木の「大後輩」に認定されると、一つだけ特典があって、生涯一緒にご飯を食べるときはご飯代はかからない。ま、大した特典でもないけれども。

脇ちゃんは311は松戸に住んでいた。昨年春、夫の転勤で関東から転出したが、東葛地域のママ達のネットワークの中心にいつも居て、松戸周辺の土壌調査を誰よりも先んじて始めたママ達でもある。
研究会のあと、久々に蕎麦などを食べながら、災害の話からSTAPのことまで、本当に話が尽きないのだった。

そんな楽しい時間を過ごして、終電の3本前の長野新幹線に飛び乗った。
軽井沢に着くと、気温1℃で小雨が降る濃霧。大好きな霧雨の軽井沢だ。
いの一番にタクシー乗り場に行く。降りたお客さんは10人ほどで、タクシー乗り場には5人ほど並んだが、タクシーが一向に来ない。待てど暮らせど来ないのだ。
夏場の盛りでも、こんなにタクシーがいない事はない。終電までしっかりタクシーがあるのが軽井沢駅の素晴らしいところなのに、一体どうしたことだろうか。

タクシー乗り場の簡易屋根の隙間から霧雨が容赦なく降り注ぐ。
雨と風で皮のジャケットがだんだん濡れてきて、どんどん体温が奪われる。
わたしの次で待っている高齢の女性とその後ろの男性2人と、自然に会話が生まれた。
皆、土地勘のある人たちで、それぞれ贔屓のタクシー会社に電話する。
駅でお客が凍死しそうだと訴えても、待っててくださいという梨の礫だ。

そのうち、一台でもクルマが来たら、乗り合いをして行こうと話ができた。
けれども、それでも中々タクシーはやってこなかった。なんという事だろうか。
寒さに耐えきれず駅舎に戻ってゆく人、家人に迎えに来てもらう人、気がつくと客は2人になっていたが、そうこうするうちに次の新幹線が着いて、到頭新しいお客が降りて来た。
つまり20分も待ってしまったのだ。

で、漸くタクシーが来たと思ったら、「貸切」の表示が・・・。
目の前に絶望のランプが点滅をはじめた。声も出ないほど凍えて25分待って、やっと「空車」が来たのだが。運転手さんに聞けば、今日は結婚式が沢山あって、2次会3次会へとタクシーの貸切が続いているのだという。
「こういうの、困るんだよ〜。待ちが多くてね」って、運転手さん。
いやいや、困り果てたのはこっちだぉ。
日陰ではまだ雪の残っていて、恐らく体感気温はマイナス3〜4℃だったと思うが、正直、軽井沢の駅前で低体温症で絶望的になるなんて、思ってもみなかった。

さて、前置きが長くなった。
「乗り合いタクシー」の話をしたい。
311でも、その前の千葉県北西部地震でも、全くタクシーが来なかった。
その時に走っているタクシーをみると、お客が一人ということが多々あった。

現在の道路運送法では、何があっても運転手が「乗り合い」を指示することができない。例えば、渋谷から銀座に行きたいお客は、運転手が客集めをしてはならない。ただ、事前に客同士が話し合って、乗り合うことは許されている。

この大災害時代に、ここを変えるべきではなかろうか。
マグニチュード7以上とかJRが止まったとかの場合は、運転手が同じ方向の客に声をかけても良しとできないだろうか。
ま、確かに多いにリスクはある。ロングのお客さんだけを集めてしまう恐れもあるのだが、ともかく「災害乗り合いタクシー」を考えてはどうだろう。

もし、タクシー協会で決定することが困難ならば、せめてこの議論を、客である私たちが口伝えで広めて行けないだろうか?
自分がタクシーに乗る段になったら、列の後ろに向かって「銀座方面の方、ご一緒にどうぞ」などと、声をかけ合う。

実はこれ、いざとなると、けっこう勇気がいる行為なのだが……。
いや、だからこそ、声をかけ合って「災害時の乗り合いタクシー」やらなくては!

 

 

 


4月24日 0.11 μSv/h 24 April 2014

2014年4月24日 木曜日

4月24日 0.11 μSv/h   24 April 2014

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六甲山は春霞〜 昨晩は20年ぶりの同期と再会、まけないぞうの話しきいてもらいました

2014年4月23日 水曜日

140422_1953【神戸のまけないぞうタオル仕分け隊 家藤さんより まけないぞうさん お嫁入り完了のニュースです】

4月23日

おはます。神戸は晴♪六甲山は春霞~。
昨晩は、会社の同期と約20年ぶりの再会♪
ざっくりの20年間は、わかった。次回は最重要課題に、絞って掘り下げるべっ!
まけないぞうの話しきいてくれて、そして、お買い上げありがとうございます!
皆さまぁ~、よい一日を~♪

再会のうれしさ溢れる笑顔
春のお花模様のまけないぞうさん
嫁入りおめでとう☆

ごいっしょに まけないぞうの応援 これからもどうぞよろしくお願いいたします☆


水戸の川又友美さん パワフルな応援の笑顔が広がる〜♬

2014年4月20日 日曜日

【水戸のまけないぞうサポーター 川又友美さんより 嬉しいニュースが連続です!!】
0414Kawamatasan4月12日
本日友達になった徳島のかよちゃん☆<
偶然持っていた「まけないぞう」をプレゼントし、御礼(?)にとても美味しいクッキーを頂きました。
これぞ「わらしべゾウさん」!
「今日はいい出会いがあって幸せだ~」
沢山の人にゾウさんをプレゼントしていたら、いつか「ゾウさん長者」になれそうな気がします!

*****
4月14日
本日、またも「まけないぞう」の嬉しいことが(^▽^)♪

♪職場の先輩の娘さんが、販売イベントで使う看板を作ってくれました♪
温かい看板にニンマリしてます♪
♪さらにお婆ちゃんの家からタオルを10枚も発掘して寄付してくれました♪
ありがとう(^▽^)!とても嬉しいゾウ!

我が家の「まけないぞう貯金」は現在15枚!
皆さんの優しさのおかげで、去年1年間の枚数を既に上回っちゃったゾウ☆

みんなに笑顔を運んでくれる「まけないぞう」。
川又さんの元気が「まけないぞう」で、まわりのみんなに伝わっていきますね!!
ありがとう 川又さん  ありがとう「まけないぞう」さんたち。

さあ〜 ゴールデンウィークは 川又さん
茨城県笠間市の「陶炎祭(ひまつり)」でまけないぞうを販売します♪♪
5月3日・4日午前10時~ (^▽^)!
タオルのご寄付だけでも大歓迎です!
友人のタスファイエ・ガライヤさんという方のテントで販売させて頂きます。
【テント番号:219】
http://www.makenaizone.jp/?p=13184
 0414KawamatasanKanban


じゅんじゅんとまみちゃん

2014年4月18日 金曜日

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家藤さん

神戸のタオル仕分け人の家藤さんが、出張の前に尋ねてくださいました!

感激の再会です!

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2014.4.17

2014年4月17日 木曜日

閉診後は特定秘密保護法についての取材。

反対する医師と歯科医師の会を立ち上げてから、色々な記者さんとお会いするのだが、どうしてこの会を立ち上げたのか説明するのに、めっちゃ時間がかかる。

色々な要因があるし、ひょんなきっかけもあるし、ひと言ではなかなか言えないのだ。

という訳で、とんでもなく長時間に渡ってのインタビューになってしまった。

急いで帰宅するも、日付の変わる直前で、既にテレビのニュースは全て終わっていて、残念!

なにしろ16日は理化学研究所の笹井さんの記者会見があったのだが、これにについてニュース番組のコメンテーターの話が聴いてみたかった。

15時からの記者会見、ニコ生で途切れ途切れに見たのだが、確かに笹井さんはSTAP現象をぜんぜん否定していなかった。

恐らくここまで大騒ぎにならなかったなら、ピースサインでもして「メッチャすごいもん発見しましたがな」とか言いそうな雰囲気さえした。

それよりも驚いたのが、質疑応答に手を挙げた「記者」のレベルだ。

テクニカルタームをバリバリ使って、ジェラシージェラジェラ燃やしながら、重箱の隅を突いてくる。一人で何問も質問してくるツワモノばかりだ。

しかし笹井さんは些かもSTAPについては疑念を持っていない。それが質問で、どんどん露になってくる。ちょっと面白い会見になった。

体細胞に2日間ダメージを与えたあと、酸性溶液に浸すと細胞の初期化が始まるが、そのダメージの掛け方の詳細は小保方さんがコツを掴んでいる、と質問者を軽く突き放す。

でもジェラシージェラジェラの質問者は諦めない。なぜT細胞リンパ球を使うのか、B細胞ではダメなのか、とかいう。ジェラジェラの言葉尻には余裕が全然ないが、緊張はしているものの、笹井さんには明らかに余裕が漂う。

この国は、だからどうかしている。

もしかしたら100年に一回あるかないかの大発見かもしれないのに、他人の成功は素直に喜べないのだろうか。

もちろん、こうした議論や切磋琢磨は必要だ。そう、絶対に必要だ。

でもね、こんな記者会見でジェラジェラやるもんじゃないじゃん?

マスコミ各社もSTAP刺客記者を大挙して繰り出すよりも、もっと他にやることはないのだろうか。

ま、昼間から仕事中に、ニコ生を見ている自分も自分なのだけれども。

しかし、これでSTAP現象というもがあるらしいという事が分かってきた。

2日間のダメージというのは、何なのだろう。というか、どうして発見に至ったのだろう?

きっと、すごくひょんな偶然から発見したに違いない。

日本はいま、世界史に残る大きな自然災害と原発事故の渦中にある。

そんな国で、もしもSTAP現象というものが本当に何度も再現出来るものなのであれば……神さまって案外近くにいるんじゃなかろうか、と思ったりした躑躅の咲き始めた、朧月の十六夜だ。


作り手さんにタオルを発送。住所がかわってました。春の前向きな一歩で、ありますように♪

2014年4月15日 火曜日

【神戸のタオル仕分け隊 家藤さん タオルを受け取り・・・・そして発送しました、とのニュースです】
4月15日 本日のまけないぞう用タオルは、目黒区と板橋区(暁星聖堂マリア隊さま)から届きました。
ありがとうございます!
マリア隊さまからは段ボールが膨らむくら いたくさんのタオルが入ってました。
被災地にむけてのお気持ちの現れのように感じました♪
気仙沼の作り手さんにタオルを発送しました。
住所がかわってました。
春の前向きな一歩で、ありますように♪
140415_1300

—-

作り手さんたち そろそろ春の気配が感じられる季節でしょうか。
季節のかわりめを、お元気で過ごされますように。
日本の各地から、世界のほうぼうから、タオル仕分け隊の家藤さんといっしょに ご無事をお祈りしております。

まけないぞう♪


4月15日 0.09 μSv/h 15 April 2014

0.09 μSv/h   15 April 2014

15april2014


2014.4.13

2014年4月13日 日曜日

閣議決定とは、業務上行われている内閣の意思決定の一形式。憲法または法令に定められた法律案・法令・予算など内閣の職務権限として明示された事項および他の重要な事項について行われる。(大辞林)

武器は輸出していい、原発は絶対にやめないしもんじゅも動かす、地球の裏側でもアメリカの戦争に協力する・・・閣議で決まれば、何でも思い通りになると思っているのか。

マスコミは何をやっているのだろうか。この国の大切なことは全部、閣議で決めれば良いと思っているのだろうか。そんなことを許すのだろうか。第一、野党は何をやっているのだろう。あと3年間、国政選挙がないから、じつはほっこりしているのではないか。

この国にはこの国の未来を考えている人は、どれほどいるのだろうか。

災害がこうして見えるところで起こって、殊に東京はあの311の揺れを自らも感じたはずだ。自分の心と身体で大震災を実感したではなかったか。

そうしてあの時、福島で何が起こったのか、私たちは多いに目撃したはずだ。

なのに、どうしてこんなに直ぐに、忘れてしまうのだろうか。

向き合いたくないものに対して目を背ける・・・この国の最も悪い所だ。

その代わりに、どうでも良い小さな問題に対して、大騒ぎをする。

しかし、どんなに閣議で決めようがどうにも成らないことが、この国には存在する事を忘れてもらっては困る。

この国は、権力者の思うようには決してなりはしない。私たちはこれから、この国に生まれた者としての宿命と直面することになるのだ。そのことを忘れているようでは何の意味もない。それを砂上の楼閣というのだ。

今わたしたちは、残念ながら千年に一度の大震災時代を生きている。長いこの国の歴史の中でも、非常に稀な大震災時代に生きる事を余儀なくされている。

閣議とやらで、この事実も毎回話し合いがなされているのなら、わたしは文句も言うまい。しかし、微塵もその片鱗がないからこそ、わたしはこの閣議決定を許すことができないのだ。

原発をベースロード電源にするのであれば、それにどんな公算があるのだろうか。百害あって一利無し。何も根拠もないカネに目が眩んだ計画を許す訳にはいかない。

まずわたしたちの国は、浜岡原発と伊方原発の燃料棒をしっかりドライ保存にしなくてはならない。この2つの原発敷地内に早急に免震のドライエリアを確保してを着工しなくては間に合わないだろう。

速やかにこの6つの原子炉と燃料プールからリスクを取り去らなければ、この国は人が住む場所が無くなって立ち行かなくなってしまうからだ。南海トラフに地震が起これば、当然ながら、今抱えている東北の復興計画など、南海トラフ地震が起こった瞬間に、木っ端みじんに吹っ飛んでしまう。

そもそも集団的自衛権の話題を振りかざしても、これだけ国民の間に「凪」状態が続いているのは、実際に尖閣諸島や竹島問題の現場で隣国の「主張」が身近に起こっているからだが、それこそがこの問題の「種」である。

では、何故この領土問題の「種」がムクムク大きくなってしまったのか。それは日本が何時何時、大地震で大混乱をして国が存続出来るか否か分からない状況が近くなってきているからだ。だからその前に、「ここは我が国のものだ」と隣国が主張を強めてきているからではないのか。

つまり、アジアを始めとしてヨーロッパもアメリカも、日本が近い将来に大災害時代を迎えることは織り込み済みなのである。

例えば、この問題を一番初めにわたしが目にしたのは1996年のフランスの新聞でだった。そこには、「日本はそう遠くない将来、近代国家としての終焉を迎えるだろう」と書かれてあった。阪神・淡路大震災の翌年の話である。

日本が大震災時代を迎えているのは、その長い歴史から考えてみれば至極当たり前だと、世界中がそう認識をしている。だから日本がまだ健全なうちに、領土問題が存在するという事実を国際的にアピールしているのが、尖閣であり竹島なのである。

それにしても、首相の周囲には、恐らくこの国の最悪のシナリオを描くことができる人物が居ないのだろう。あまりにも鈍感で呑気すぎやしないか。

別に脅かすつもりも無いが、南海トラフ地震域にそこかしこで揺れが起こるようになって3ヶ月ほどが経つ。三陸沖〜房総沖でも地震が目立つ。殊に福島・茨城沖ではM5クラスの群発地震が起こっている。つい今しがたも、M5.1の地震が福島沖で起こったばかりだ。

超高齢化国家、超少子国家、人類史上最悪のカタストロフィーへの対処、頼りの綱のアメリカの弱体化、にもかかわらず集団的自衛権を進めようとしている国に対して、もっとその根本を考え、対外的なことよりも国内的な問題点に目を向けるように呼びかけることはできないのだろうか。

この政権のやろうとしている事が、危険極まりないしこれまでの国の形が変わってしまうから「反対」であるという、そういう外見だけの政権への反対論はこの際、この国の権力者を始めとして有権者にも、もうあまり響かないのではないか。

例えば、集団的自衛権を行使することで、来るべきイラン戦争に日本が派兵をすることになるとしよう。戦況が佳境にさしかかった頃に、南海トラフ地震なり首都直下地震が起これば、派遣した日本軍を即日撤退せざるをえなくなる。

何しろどちらが起きても、数十万人の死亡者が出て、そのうちの半数ぐらいが生死の不明が分からない状況になり、その数倍の負傷者が出る。原発が事故を起こせば、3000万人ほどの人々は即刻に疎開を余儀なくされるのだ。

つまり、わたしたち日本人はそういう時代に生きている。しかも高齢化は毎年毎年、進んでゆくのだ。

だからこそ今後、20年間いや15年間に起こる最悪のシナリオを頭に浮かべて、それを回避するような有効な政策を打ってゆくためには、何をしなければならないか、何をしてはならないかという、いわば「ダメージコントロール」論を政権中枢のみならず、わたしたち国民の方ももっともっと真剣に考えるべきではないのか。

事はそこまで切迫をしている。支持は全く高くないのに敵が居ないのでのさばっている政権と、強靭な政権に対してNOだけ言っている民や、生活に追われて権力者の動きなどなにも留意できなくなっている民と、そんな声を全く反映しないマスコミと、突き詰めればカネのことしか考えていない財界と、プライドだけは高いが責任を全く負わない官界と、火と水と油の国民が織りなす2014年の春なのだが、しかし私たちは唯一共通点がある。みな同じ日本列島に暮らしていることを思い出して欲しいのだ。だからこそ今私たちが置かれている状況を、もっと真剣にもっと冷静に考える必要があるのではないか。

このまま使用済み燃料をウエットのまま保管しながら大災害時代を迎えるのは、まずもって不可能である。

今日明日にでも茨城県〜房総沖に大震災が起これば、東海第二原発の2195本の使用済み燃料棒の保管が難しくなる。同様に東海地震が来れば、浜岡原発の6625本の使用済み燃料棒は忽ちのうちに恐らく燃料棒自体が剥き出しになって、想像もつかない事態になることだろう。

この国から民主主義が壊滅して、そろそろ一年半が経とうとしている。

しかし、この国のリスクは増大することはあっても、減少することはない。どんなに国民という名の忘れっぽい人々が忘れてしまっていても、自然の営みは決して忘れずに動いている。

それを利害が反するバラバラな「民」「政」「官」「財」「メディア」に、どう知らせてどう纏めてゆけるのか、もう少し真剣に考えようではないか。


2014.4.11

2014年4月11日 金曜日

撮影 森住卓

悲しみは悲しみとして桜咲く

詠み人を失念してしまったが、NHK俳句で以前に「哀しみは哀しみとして雛飾る」という句が紹介された。その句へのオマージュとして、夜ノ森の満開の桜に捧ぐ。

 

 

 

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