ドクター青木のぞうさん日記

makenaizone主宰の青木正美が、自分の生活の中でできるボランティアとは何かを考え、実行してみよう、そんな四方山話を綴ります。
Dr Aoki's Prescription...

2013.6.15

2013年6月15日 土曜日

復興庁Twitter問題で、6月14日に行われた議員連盟と復興庁の緊急会合のVTRを見ていたら、ため息が止まらなくなってしまった。

井戸川前双葉町長が「子ども達の血液検査をしていないのは本当か?国連人権理事会のアナンド・グローバー氏がそれを指摘した時、日本政府はすぐに反駁していたが…」と。
グローバ氏が来日したのは、昨年の11月のことだ。氏はその時点で、この国の不作為の本質をすぐに見抜いたのだろう。

ところで、復興庁や環境省はどうして血液検査をやろうとしないのだろうか。もちろん、尿検査も心電図もやりたいには違いないが。

やらない理由は、やはり経済的なものなのだろうか。仮に今回の被災者が1000万人であるとして、一人に1万円ちょっとの検査費がかかるので、約1兆円強になる。少なくとも年に一回は何が何でも検査をしなければならない。
年に一兆円の検査費が用意できないような国であるならば、そんな国が原発を推進していって良い訳がなかろう。

ともあれ、ここまで復興庁の国の方針が透けて見えたのだ。これに大軌道修正をかけるべく、それぞれの人々が声を大にしてゆかなくてはならないと思う。
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2013.6.14

2013年6月14日 金曜日

昨日から問題になっている復興庁の水野参事官の発言について、「知性に欠ける上から目線」的な報道に終始してしまった。残念この上ない。

そんな風に水野発言を取り上げれば上げるほど、当局の思うツボであり、この国の不作為を覆い隠すお手伝いをするだけではないのだろうか。
メジャーどころの新聞も、気骨ある東京の新聞も、原発をやめましょうの大御所の作家さんも、みな同じように水野発言を批判する一方で、その発言の根本に何があるのか見落としている……今日のわたしは、その一点で、この徒労感からなかなか立ち直れない。

水野発言は単に彼の「被災者を愚弄した」とか「政治家を馬鹿にした」とか「誠意や知性の欠片も無い」とか、そんなレベルの話題に落とし込んでしまう事では断じてないのだ。

彼の言動はむしろ、この国の方針のマーカーとしてとても重要なものだったのではないか。復興庁が「原発事故子ども・被災者支援法」という法律を、そのまま棚ざらしにして具体的に運用しないということを3月8日に決定したのだということを知らせてくれたのだから。
復興庁のこの方針の大転換を、少なくとも、わたしはずっと知りたいと思ってきた。

だからこそ、「参事官の暴言」に対して「副大臣が揃って謝罪する」という写真一枚が免罪符になってはならないと思うのだ。

つまり「参事官の暴言」と「支援法を履行しない国の不作為」とは、元々まったく違う次元の話なのだ。ここを混同していては、個人の暴言に怒れば怒るほど、国の不作為の実態を覆い隠すことに加担してしまう。この事実に、早く気づいて欲しいもなんだが……。

さてと、金曜日のディナーは東京スクエアガーデンの GRAHM’S CAFE へ。京橋の再開発地域が知らない間に、すごいことになっている。
それにしても、今週はくたびれた。
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2013.6.13 〜復興庁のTwitter事件

2013年6月13日 木曜日

今日は復興庁の水野参事官のTwitterでの「暴言」問題が、各メディアを賑わしていた。

そもそも、昨年6月に「原発事故子ども・被災者支援法」が制定されたにもかかわらず、これが殆ど何も履行されていない、というか単なる理念法になってしまっていて、いまもって全く機能していない。

このことに少なくとも私たちは危機感をもっており、どうすれば支援法をすべからく運用できるのだろうか、ということでわたしの属する関西学院大学災害復興制度研究所は、saflan(福島の子どもを守る法律家ネットワーク)やJCN(東日本大震災支援全国ネットワーク)のメンバーとともに、対策研究会を重ねてきた。

確かに、今回問題になった参事官のTwitterでのコメントは品性を欠き、目を覆うばかりなのだが、私たちのように支援法を動かそうとしてきた側から彼の言動を追ってみると、たいへん「分かり易い」足跡が残されていることに気づくのだ。

年末の政権交代を挟んで、支援法の灯火は急激に小さくなっていった。殊に、3月15日に
「原子力災害による被災者支援施策パッケージ〜子どもをはじめとする自主避難者等の支援の拡充に向けて〜」が発表されたあたりから、風前の灯火となっていった支援法。
根本復興大臣は「支援法の目的・趣旨を読み込んで、具体的な施策を取りまとめたものがこの施策パッケージである。支援法による必要な施策については、ここに盛り込んだ」という記者会見を行ったんだけれども……。

具体的な目に見えるパッケージの内容は、浜通りや中通りから母子避難をしている家族の高速無料化、借り上げ住宅の26年までの延長といったことだった。もちろん、無いよりはマシな対策ではある。高速道路代金は二重生活の若い世帯にとって、たいへんに重い経済的負担だからだ。

 
つまり実質、この後どんどん衰退の一途を辿っていった支援法への霞ヶ関の動きというか「温度」を、この参事官は如実にTweetしていた訳なのだ。
ま、この参事官は更迭されやがて表舞台から居なくなるだろうが、そういう品性に欠けた発言をした個人が云々という話のレベルで今回のニュースをひも解くのは、全く論点が違っている。
いま論ずるべきは、復興庁の被災者に対する姿勢なのだから。

「法律とは最も弱い立場にたって作られ用いられるべきものである」……ということを考える時、私たちの国では、たった今、原発被災者に対して十分なる法律が全く何も動いていないという厳然たる現実がある。
そうして、今後とも支援法を強力に進めるつもりはないという合意を政府関係者が、今年の3月8日にしたのだということが、この参事官のTweetによってしっかりとウラが取れたということだ。

この参事官、私たちがウクライナに行った直前に彼もウクライナに行っていたことを、彼のTweetで知った。かの地で、いったい何を見てきたのだろう。で、どんな報告書を書いたのだろうか。今夜はずしりと胃の腑が重い。 
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2013.6.12

2013年6月12日 水曜日

第二水曜日は、関西学院大学災害復興制度研究所の研究日。午前中の診療を終えて、丸の内キャンパスへ。

 
14時からは福島原発事故の「子ども・被災者支援法」を考える医療部会。前半は先月の続きで、松井英介氏から内部被ばくに関してのレクチャー。後半は、わたしと小林玲子弁護士でウクライナの報告会。

 
えっと、今日は iPad mini でスライドを動かしたかったのだが、明らかに失敗。急遽、iPhoneにプロジェクターをつなげてウクライナの写真を映した。

 
それにしても、こういう機械の進化にだんだん付いてゆけなくなってきた自分に、内心、モーレツにがっかりする。昔はもっともっと、パソコンも難しかったはずなのに難なく暮らしに取り入れてやってきたのにぃ。今日は大失敗だったなぁ。

 
実は、タブレット端末というものに馴れていない自分が居て、それをサクサク使う人々を横目で見ながら自分もヨッシャやってみようと思ってしまったのが災いした。ま、失敗は成功の元。これから研究して必ずやこれを使ってやろうじゃないの!

 
いやいや、初代のiPadも持ってはいたのだが、重くて重くて、全く好きになれなかった。使ってみたら好きになるかもと思って何度か試してみたのだが、どうしても好きになれなかった。だから使いこなせないでいたのだ、iPad。そのうち触れもしなくなってしまった。理由は、重いのとキーボードの操作性がダルかった。

 
わたしは昔からMacのノートパソコンのキーボードの感触が好きで、相性のいい機種は文字を打つ度に指の先から「癒される」。今使っているMacBook Pro のキーボードタッチもめっちゃ好きだ。

 
ところがiPadにはそれがない。で、やたら重い。いや重かった。最近、ひょんな事からiPad mini を使ってみて、これで電子書籍を読むようになって持ち歩くようになった。こやつを使ってみると、文字さえ打たなければ便利なことこの上ない。

 
最近とくに注目しているのが、実際に自分が紙媒体で読む本と、電子媒体で読む本の傾向がはっきり分かってきたことだ。もちろん、まだまだ電子化されていない本が沢山あって、自分が生きているうちに全ての出版物が電子化されることなどないだろうから、まだまだ理想的な環境にはほど遠いのだけれども。
でもね、たった今読みたい本をすぐにダウンロードできることが分かった瞬間、ものすごい多幸感に遭遇することが分かった。それは時間を得した気分になることから来るようだ。で、みるみる病み付きになってしまった。

 
すると実に面白い傾向が分かってきたのだ。前々からチラっと読んでみたいと思っていた本をダウンロードしておくと、ちょっとした空き時間にチラっと読んでみることが可能になった。コレって紙媒体だと決してできない離れ業なのだ。
それからページをめくるのがラクちんなのがいい。読飛ばしがガンガンできる。わたしという人間は、かように読飛ばしの名人だったのか、と、改めて知った次第。

 
もちろん、「やっぱり紙じゃなきゃ」と思うものも沢山あるだろうが、今は同時に何冊も読めて、持ち運びができて、おまけにオンデマンドで手に入る電子書籍が沢山眠っている我がiPad mini のことをかなり気にいっている自分がいる。これって我が人生に初めて現われた、そう、「読書革命」なのだ。

 
さてと。少し時間に余裕がある今夜は、ベッドサイドにiPad mini を持っていって、小説なんか読みながら眠りたいと思う。読みかけのルソーの話なんぞ。
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2013.6.11

2013年6月11日 火曜日

今日は11日、明日はもう12日なのか。ウクライナでの鮮烈な体験・一種のショック状態がだんだん解けてきて、日常に戻りつつある。ところが、今頃になって原稿を書いたり、話をしたりという仕事が増えてきた。

発表の場を与えてもらえることは感謝しても足りないぐらいなのだが、そのうちの少なくとも一つの依頼者から「主観を入れないで、聞いてきたことを客観的に書いて欲しい」という要望が入った。

この場合の「主観」って何だろ? 「客観」って何だろ? そもそも日本からやってきた、ポッと出のというか一見さんの弁護士の団体客に、あの国の人々が 100%こっちの知りたいことを詳らかにしてくれているのかしらん? そこを「主観的」でなくて「客観的」に文字に起こせと言われても、甚だ自信がない。 そんなことできやしない。

そもそもわたしはわたしの「直感」、つまり「主観」を多いに熟成するために、わたしは診療を休んで自分の患者さんを放ったらかしにして、チェルノブイリ事故の「現場」に行ったのではなかったか。
従って、見てきたものがわたしというフィルターを通った時点で、それは「客観」ではなくなっているばずなのだ……なーんちゃって、そんな事を考えている間 にも時間は流れ、水曜日にはウクライナ見聞をレクチャーしなければならない。日記に沿って、写真のスライドを用意しないと、と。

それにしても引っかかるなぁ、「客観」って何だろ。オイラは主観しか持ってやしないさ!
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台風3号かゆっくり接近中。

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