我謝京子監督への手紙

2011年10月27日 木曜日

我謝京子監督の『3.11ここに生きる In the Moment』ワールドプレミアが、26日にセルバンテス文化センター東京オーディトリアムで行われました。

まず舞台に立った我謝監督が、会場の皆さまに1分間の黙祷を捧げることを宣言。
フィルムが回り始めて、わたしの目から鱗が落ちました。プロローグは、この映画制作に協賛して下さった企業の紹介から始まったからです。
それぞれの企業が被災地での支援のワンシーンを写真で紹介し、そこに日本語と英語の字幕が重なってゆきます。たった数分間ですが見事なプロローグでした。

この本編への入り方、我謝京子監督というのは、ほんとうに天才だと思いました。
わたしは以前から、「災害メセナ」というのを提唱しています。詳しい話はいつかまた致しますが、もっと企業が商業的に被災地支援をやったらどうだろうか、という提言です。
ですから『3.11ここに生きる』の冒頭シーンが、そのままわたしの考えていることと、余りにも似ていたので心をギュっと握られたかのようでした。気がつくと自然に身を乗り出してスクリーンを観ていました。

そうして『3.11ここに生きる In the Moment』というタイトルが映し出されたあとの、登場する人々の口から語られる言葉の、なんと自然なことでしょうか。カメラに対して構えるわけでもなく、媚びるわけでも怯えるわけではなく、怒るわけでも焦るわけでもない。十代の高校生から八十代の方々まで全員、真っすぐな気持ちを言葉にしておられました。
ただただ悲しみに暮れておられるわけでも、諦念の境地におられるわけでもなく、その方なりの立場や方法で、自分の命と向き合って小さな希望の灯を探るように、昨日から今日、今日から明日へと繋いでいらっしゃる有り様に、時には圧倒され時には涙をしながらの75分間でした。あっと言う間にエンドロールが流れていました。

わたしは我謝監督がカメラの横で、お話してくださる方の目を見ながら、大きく頷きながら、真摯に取材をしている姿をこの目で拝見しています。
我謝監督の真っすぐで誠実な人柄が、どれほどまでにインタビューされる側の心の緊張を解きほぐしていることか、と。それも瞬時にその境地に持ってゆくことができる。
我謝京子という人は、人々が思い出したくない出来事を口にしても、それを自ら希望へと昇華させてしまえるような、類い稀なるインタビュアーなのだと、この作品を観て確信しました。
一人に密着取材をして美味しい言葉を集めるのではなく、アポ無しぶっつけ本番で、これほどの言葉を引き出せるインタビュアーは、当世では我謝京子の他にはちょっと見当たりません。

『3.11ここに生きる In the Moment』。何度でも何度でも本当に何度でも観たい作品です。そうして、我謝監督、次回作も心から期待しています。
けれども身体が資本です。どうぞ充分に、お身体愛うてください。


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