七代目 中村芝翫さん

2011年10月10日 月曜日

10月10日0時50分、七代目中村芝翫さんが永眠されました。

芝翫さんご一家とは、古くからお付き合いをさせて頂いています。
わたしの大切な患者さんであり、いろいろなご縁もあって、両親が既に他界しているわたしは、芝翫さんご夫妻をパパとママとお呼びしていました。

3月11日が芝翫さんのお誕生日で、ご存知のように、その日に東日本大震災がありました。
震災の後、わたしがまけないぞうのタオル集めを開始しますと、パパもママも沢山のタオルを集めてくださいました。
タオルだけでなく、日本手ぬぐいもそれはそれは沢山集めてくださいました。
また、わたしが被災地に入るたびに、労いの言葉や差し入れを必ず頂いていました。

正直、余りにも多くの思い出が有り過ぎて、今、語るべき言葉が出てきません。

ですので、パパとママのなれ初めの有名なエピソードについて記しておきたく思います。
歌舞伎のファンの間では、とても有名なエピソードなのですが、余りにも良く出来過ぎた話なので、昔わたしはお二人に真偽のほどを直接確かめたことがありました。
実はママは、わたしや田中幸子編集長の学校の大先輩でもあります。
「うふふ、本当ですよ。あれからもう50年以上も経っちゃったけれど」

ママが女学生の頃、必ずおばあさまと歌舞伎を観にいらしていました。歌舞伎座は、入り口にかなり急な階段が10段ほどありました。
それで、足の悪いおばあさまをいつも女学生だったママがオンブして、階段を上って客席に連れていかれていたのだといいます。
それをいつも見ていた七代目福助(パパ)のお母様が、そんな孝行な娘さんを見初めて、声をかけたのだそうです。
「あなた様はどの役者がご贔屓でらっしゃいますか?」
「みなさま素晴らしいのですが、特には中村福助さまです」
「本当ですか。私は福助の母親です。どうぞうちの息子の嫁になってください」

そうして、パパとママは結婚し、最期の最期まで、素晴らしく仲のいいご夫婦でした。

10月10日、午前0時50分。息を引き取られたこと、長女の光江さんがお知らせくださいました。
ちょうどその時間、我が家では雲間から朧の満月が一瞬見えたのでした。
パパはあのお月さまのところへ行かれたのでしょう。あるいは最後に月となって一瞬わたしに姿を見せてくれたのかも……。

パパ、ほんとうにほんとうによく頑張られましたね。心からお疲れさまでございました。どうぞ安らかにお休みください。
そうして、本当にどうもありがとうございました。


ページトップへ Top of page