水道管が壊れた……。

2011年10月1日 土曜日

10月になりました。
今日、なんと、わたしの家の風呂の配管が壊れてしまいました。

まずは管理人室に連絡するも繋がらず、仮に直して工事を待っています。シャワーを浴びる事が、これほど困難な事だとは久しぶりに感じたのでした。
それでいったい、どのくらい久しぶりだったのか、思い出してみましたら約17年ぶりでした。

1995年1月20日、わたしは神戸に入りました。伊丹空港からヒッチハイクをして神戸市役所行き、神戸市の中央区保健所に派遣されてそこで医療ボランティアに携わりました。
このとき、わたしは生まれて初めて大規模な「断水」を味わいました。電気もガスも回復していなかったと思いますが、10日間の神戸滞在の中で一番印象に残っているのが断水でした。

                   ☆

ボランティアを終え1月30日に東京に帰る日、わたしは四国から来られていたボランティアの看護師さんと二人で、大阪の運転手さんの車に乗せてもらって、伊丹空港に向かっていました。
その途中で、たまたま営業しているマクドナルドを見つけたわたしたちは、別れの杯ならぬコーヒーを飲もうということにまりました。
クルマを降りてマクドナルドに入ると、もちろん電気は点いており、店内は暖かく、BGMが流れていて、家族連れやカップルが談笑していたのでした。
その事自体も、わたしたちは充分にショックを受けました。こんなにも「普通の生活」が出来ている人々が、こんなに近くに居るなんて、と。

わたしと看護師さんは席に座る前に、トイレに行きました。用を済ませてから、看護師さんと二人並んで洗面台で蛇口を捻ったときのことです。
果たして、蛇口から水が勢いよく出てきました。その冷水が手の平に当たったとたん、何故だか理由は分かりませんが、涙が後から後から出て来て止まらなくなりました。
鏡を見ると、看護師さんもポロポロと大きな涙を流していました。鏡の中で目が合ったとたん、わたしたちは堪えきれずに声を出して泣いてしまいました。
わたしにとっては、10日ぶりに流水で手を洗った瞬間でした。

                ☆

風呂の配管が壊れてしまい、10月1日は自由に水が使えることが、どれほど有り難い事なのかと考えていたら、突然にマクドナルドの話を思い出したのでした。
あの時の涙には、きっといろいろな意味が含まれていたのだと思います。しかし主たる理由は、なんて理不尽なんだろうか、と思ったからだった……などということを、突然思い出した1日でした。

伊丹空港近くのあのマクドナルドは、神戸の被災地とは別世界のアナザーワールド、否、アナザープラネットに思えたのでした。

あれから約17年。今でも東北の被災地では、断水が続いている場所が沢山有ります。断水が解決しても、諸々の理由で、元の場所で暮らすことができない方々が沢山いらっしゃいます。
こんな状況は、これからもまだまだ続くことでしょう。

ですからこそ、被災地ではない場所で暮らすわたしたちは、日常のほんの僅かな時間でも、被災地の不自由な生活や理不尽に思っておられるであろう事に、心を傾けてみなければ、と、改めて思った10月のはじめでした。


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