2013.7.9

2013年7月9日 火曜日

ウクライナでは原発事故のあと、処理に当たった作業員のことをリクビダートルと呼び、今でも尊敬を集めている。

チェルノブイリ原発4号機から約10分ぐらい走った所に、チェルノブイリ消防隊員の追悼の碑が建っている。
あの事故の直後から、命と引き換えに火の手が上がる原子炉のその下にトンネルを堀り進めたリクビダートルの中でも、最も先に原子炉に近づいて作業をしたのが、チェルノブイリ消防隊員だった。

その後、次々と軍隊が招集された。その数は合計、60〜80万人にもなるという。
一説に因ると、20万人ほどのリクビダートルが亡くなったとも言われている。

その消防碑の前で、私たちのバスは止まり、記念撮影のために降ろされた。今にも降り出しそうな遠雷の鳴り響く中の出来事だった。
大雨に濡れても消防碑は見学せよという、元リクビダートルの案内人の強い意図が見えた。そこで誇らしげに碑についての説明を彼はした。花が沢山手向けられていた。

今日、福島第一原発の吉田元所長が亡くなったというニュースが入ってきた。
福島原発の事故とチェルノブイリ原発事故との、一番の相違点を考えると、リクビダートルが心から厚い尊敬を受け、社会的にも遇されていることだ。

即刻原発を止めてゆく事ももちろん大切であるけれども、私は今の6次下請け7次下請けダンピング方式のような世界を、いの一番に改善してゆかなくてはとまず思ってしまうのだ。

吉田元所長が亡くなった今この時期に、原発労働者のことをもっともっと真剣に考えてゆかなくては。
吉田さんのような親会社の正社員よりも、圧倒的多くの非正規の労働者が福島第一原発では働いておられる。
そうして、その人たちの活躍によってのみ、我々の生活が支えられているのだから。
この連日の猛暑の中で……。


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