被災地医療はどうなるのか?・・・ほんとの支え合いの社会に少しでも近づきたい

2011年9月7日 水曜日

東日本大震災が発生して、3月の末に遠野に行って帰るときに、花巻空港で医療生協・神戸共同病院院長の上田医師にバッタリ会いました。
上田先生は、そのとき「医療システムも崩壊やなぁ」とポツリとつぶやかれたのを思い出します。理由は、患者さんやスタッフがいないという事態です。
それから、しばらくして今度は遠野で食事をしていたら、その同じお店に「アムダ」の代表菅波医師ともう10年ぶりくらいに会いました。菅波さんが「村井さん、いま釜石と大槌町で医療活動をしているの。地元の老医師が野戦テントで医療活動しているのだが、なんとか”仮設診療所”を建てて活動の場を提供したい。協力してください。」というのです。被災地NGO恊働センターは医療の専門でもないし、医療関係の活動はしていませんから、「協力してよ!」ということは、これは「資金だなぁ!」と理解し、早速翌日遠野から事務所に電話して、「アムダを支援しようと思う。仮設診療所が必要らしい。私たちが寄付を求めても医療NGOでないからあまり集まらないかもしれないけど発信しよう!」と了解を取り、HPで発信しました。50万円ほど集まり、アムダに送金しました。少しでも緊急医療に役立ちたいという思いでした。

今朝の朝刊に「描けぬ被災地医療」という記事が大きく出ています。医療機関の再建ってほんとに大変です。
国からの建物の建設費補助は、3000万円ほどで、しかし例えばCTの設置には1台5000万円がかかるという莫大な資金が必要となるようです。
医療はセーフテイ・ネットだし、大切な社会的インフラです。こういう大規模災害の時は、国が無条件に仮設診療所くらいは建て、最低限の医療機器も設備することをしなければならないのではないかと思います。私たちのレベルでは資金支援のしようがないというのが現実になります。しかし、それでは悔しいのでやれることはやろうと思うようにしています。
とはいえ、当事者の方にすれば莫大な借金を抱えてまで再建するかどうかはかなり難しいということになるでしょう。どういう仕組みが必要なのか今後のために考えておく必要がありますね。

現実には、医療業界の全国組織はこういう時に何も支援はできないのでしょうか?再建する意志があるならば、全国組織で資金をかき集め、極めて現実的な条件で融資などができないものか?と思うのですが・・・・・・。

今回の大規模災害で、一つ明確に露呈したのは、いわゆる全国組織といわれる機関が、被災地業界の窓口に寄付をしたくらいで、その他のことはほとんど何もできていないのではないでしょうか?
私の知る生活共同組合連合会は、ほんとに動きが鈍いために各県の小さな組合が「もう本部の指示を待たない!自分たちでやる!」と宣言したので、やっと本部が重い腰を上げたという話があります。

結局、もう一つの社会システムを築かなければならないということになります。これは阪神淡路大震災の直後に「市民とNGOの『防災』国際フォーラム」で宣言した内容にも、そんなことを触れています。しかし、具現化できていません。「100年壊れない支えあいの仕組みを」と議論したのですが、10年過ぎると意識も薄らいで来まし
た。神戸は「コープこうべ」という世界最大の生協があり、前述のフォーラムの委員にもなっておられたので、この壊れない仕組みというのは「生協」のことでした。

阪神淡路大震災から10年が経過したときの「神戸宣言」には、3つの大切なことを掲げました。
(1)もう一つの生き方を探る。(2)最後の一人までを救う。(3)震災文化を伝える です。
最初の(1)もう一つの生き方という中に、多彩な生き方が選択肢としてでてきます。ほんとの支えあいの社会って不可能なのでしょうか?
まけないぞうが”呼び水”になって、少しでも近づくことができるのではないかと諦めていません。

9月3日の神戸新聞に「被災地医療貫いて移住」と言う見出しの記事がありました。アムダ兵庫県支部の小倉医師が石巻雄勝町の仮設診療所所長として赴任されます。経緯は「(石巻)市は無医地区解消を目指して町内に仮設診療所開設を決定。小倉さんは被災地への強い思いから「長期医療の勤務可能」と市に売り込み、9月末に所長として赴任することになった。」とあります。診療科目に内科、外科、整形外科とありました。ちなみに小倉先生は「雄勝に骨を埋める決意です」といっておられます。


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