2013年10月


2013.10.10

2013年10月10日 木曜日

汚染水のトラブルが、どんどん酷くなっているにもかかわらず、人々は馴れてしまってメディアの報道に関心を示さなくっている。
しかし、作業員が3400万Bq/lのβ線を含んだ汚染水を被るということが起きているのが現実なのだ。新聞によると、作業員は除染して無事とのこと。
本当だろうか。本当に大丈夫だと言えるのだろうか。

先日、元原発作業員の方に話を伺ったことによると、イチエフの作業環境は劣悪極まりない状況であると。ついこの間まで中で働いていた人の言葉からは、たいへん切迫した状況が伺われた。最近は外国人の作業員の割合が増えたとも……。
それで十分な意思疎通ができるのだろうか。メディアでは「これはケアレスミステイク」「現場の士気が落ちている」と書いてあるが、言葉も通じない環境で士気もへったくれもない。何がミスなのか分からないではないか。

チェルノブイリでは事故処理に当たったリクビナートル達が中心と成って、後にチェルノブイリ法ができた。そうして今でもリクビナートルは尊敬を集めている。
ここまできたら、福島原発の現場を、根底から変えてゆかなくては立ち行かないのではないだろうか。
ヒト・モノ・カネ・チエを福島原発に集結しなければ、と、本当に焦る。部外者のわたしなどがこんなに焦ってもどうにもならないのだが……。

汚染水の問題を考えるとき、決まってわたしが麻酔医だった頃の若い自分を思い出す。その記憶が蘇ってくると、今でもなかなか眠れないほどなのだが……。

その手術室は修羅場の限りを尽くした空間だった。緊急の開腹術でのこと、手術台の上の患者 さんの腹部から出血が止まらなかった。輸血を10パック入れたところで、真夜中の大学病院と付属の看護師寮に一斉放送をして献血を呼びかけた。さらに20パックの血液が集まった。生血の輸血を入れても入れても全く出血は止まらなかった。血圧は下がり続けた。
真冬の午前5時、大先輩の外科の執刀医に、わたしは手術の終わりを告げた。その朝から、わたしは氷のトンネルに入ってしまい、しばらく出てこられなくなった。

きっと、あんな修羅場がそこ此処で起こっているに違いない福島原発。
3400Bq/lの汚染水を被ってしまう修羅場から、作業員の命を守ってゆかねば……。


2013.10.9

2013年10月9日 水曜日

台風24号は対馬海峡の真ん中を抜けて、最大時に935hPaあった勢力は急激に減衰していったものの、日本海側を東北東に進みながらフェーン現象を起こしたので、各地で強風と猛暑をもたらした。

午後から関西学院大学の災害復興制度研究所@丸の内キャンパスで、原発避難者支援制度の医療部会。
2人の講師からレクチャー、その間のディスカッション。今回も思う所多々あった。
この研究会、回を追うごとに「タブー」が溶けてゆく感じがする。メンバーの気心が知れてくるというのは本当に大切なことだ。

原発避難の問題に関しては、実はそこ此処に「タブー」が存在している。その「タブー」は下手に触ると火傷をするが、触らなければ触らないでどんどん険しくなり大きくなる。「タブー」は魔物のようなものだ。だから「タブーを作らない」という研究会にしてきた。

それにしても時間が足りない、と、焦る日々だ。
一日診療して、終わってから帰って、食事をすると寝落ちてしまう。
本が続けて読めないし、原稿の〆切が近づいてきても、頭に何も浮かばない。
ペインクリニックは肉体労働だから、近い将来このままでは立ち行かなくなるだろうなぁ。

自分に与えられた時間は、そう長くはないだろうから、このまま行けるところまで行くしかないのだが……。
それにしても、思い切り長い論文を今年度中に複数書かねばならないのは、かなり辛いな。明朝はラジオの収録だ。早く寝なきゃ。


2013.10.9

台風24号は対馬海峡の真ん中を抜けて、最大時に935hPaあった勢力は急激に減衰していったものの、日本海側を東北東に進みながらフェーン現象を起こしたので、各地で強風と猛暑をもたらした。

午後から関西学院大学の災害復興制度研究所@丸の内キャンパスで、原発避難者支援制度の医療部会。
2人の講師からレクチャー、その間のディスカッション。今回も思う所多々あった。
この研究会、回を追うごとに「タブー」が溶けてゆく感じがする。メンバーの気心が知れてくるというのは本当に大切なことだ。

原発避難の問題に関しては、実はそこ此処に「タブー」が存在している。その「タブー」は下手に触ると火傷をするが、触らなければ触らないでどんどん険しくなり大きくなる。「タブー」は魔物のようなものだ。だから「タブーを作らない」という研究会にしてきた。

それにしても時間が足りない、と、焦る日々だ。
一日診療して、終わってから帰って、食事をすると寝落ちてしまう。
本が続けて読めないし、原稿の〆切が近づいてきても、頭に何も浮かばない。
ペインクリニックは肉体労働だから、近い将来このままでは立ち行かなくなるだろうなぁ。

自分に与えられた時間は、そう長くはないだろうから、このまま行けるところまで行くしかないのだが……。
それにしても、思い切り長い論文を今年度中に複数書かねばならないのは、かなり辛いな。明朝はラジオの収録だ。早く寝なきゃ。


makenaizoneの今。8 October 2013

2013年10月8日 火曜日

みなさま、こんにちは。

DSCF0678b「まけないぞう」を応援するmakenaizoneの編集長 田中幸子です。

昨年の10月のちょうど今ごろ(10月5日〜8日)イタリアのローマで開催されたアジア映画祭で我謝京子監督のドキュメンタリー映画「311:ここに生き る」の上映に応援に出かけました。
そのときのレポートは、こちらをご覧ください。
そして一年はあっという間!
今年はまた10月19日の上智大学の創立百周年記念の催しでワークショップ「トークセッション  「海を越えてこそ見えてくること —東北被災者に寄り添う思いを今、あらたに」のため、東京へ行きます。
詳しくは、こちらをご覧ください。

映画のなかでひとりのお母さんが「あそこの(建 物の高いところへ)登っていてくれたら助かったのに」と話すのを聞くとき、95年の震災で「もしもあのとき西宮に帰っていなかったら死なずにすんだのに」 と思った自分と重なります。
大切なひとを喪い、そういうふうに悔やんでも悔やみきれない思いを抱えて生きるひとが、どれほどおられることでしょう。
我謝京 子さんは映画作りという方法で被災地の方々を応援しているし、わたしにとっては「まけないぞう」のつながりを、いろいろな国に住む方々とのあいだにつくっ ていくことが応援の方法です。
ひとごとではない喪失の体験。
明日への希望を見いだしていただきたいと、心から願います。まけないぞう!!

One year ago, 5 to 8 October 2012, I went to Rome (Italy) to attend my friend Kyoko Gasha Kyoko ‘s documentary film showing in the ‘Asian Film Festival’. This year, we will meet again on 19 Oct, this time in Tokyo, for a workshop in Sophia University. She continues as a film maker to support Tsunami-Earthquake devastated area people her way: and I continue to try and spread Makenaizo Elephants everywhere I go and I live, my way.
‘We wished she was there…’, said one of the many ladies interviewed in the documentary film. But we know this someone, so precious, is gone and will never come back. So many lives lost and still so many are struggling to find a decent life, seeking hope. Makenaizo Elephant is there to link these people to us. Never forget, never give up.
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上智大学創立100周年記念の催しで 被災地のことを忘れないメッセージを送ります

2013年10月7日 月曜日

10月19日(土) 午後2時40分より 我謝京子監督のドキュメンタリー 「311:ここに生きる」を上映します。
引き続き、トークセッション 「海を越えてこそ見えてくること ー東北被災者に寄り添う思いを今、あらたに」で 我謝京子(ニューヨーク在住 ジャーナリスト・映画監督)&田中幸子(makenaizone HP編集長・上智大学名誉教授)がそれぞれの立場から いま 考えていることを語ります。
上智大学四ッ谷キャンパス 10号館講堂にて
19oct2013

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ドキュメンタリー映画「311ここに生きる ーIN THE MOMENT-」 公開上映@神戸女学院大学

「被災地を忘れない」という心で、強く生き抜く女性たちの姿を追いかけるNY在住の映画監督・我謝 京子。
もう過去には戻れない だから前を向いて 今を生きていく
ドキュメンタリー映画「311ここに生きる ーIN THE MOMENT-」の公開上映が西宮の神戸女学院大学で行われます。
10月16日(水)16:40〜18:10
無料、申込不要です。
詳しくはチラシをご覧 ください。

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2013.10.7

「ある日makenaizoneから」
そういう名前のブログを立ち上げて丸4ヶ月になった。
何で「ある日」だったかというと、それまでにmakenaizoneというわたしが主宰しているグルーブの自前のHPの中で日記を書いていたのだが、ある日、そのサーバーが落ちてしまった。で、予備的にBloggerに日記を書くようになった。でもって、だから「ある日makenaizoneから」なのだ。

makenaizoneというのは、阪神・淡路大震災から被災地で作り続けられている、タオルで出来たぞう「まけないぞう」の私的な応援団である。

幼なじみのアイルランド住まいの田中幸子編集長が中心になって、いまや「まけないぞう」を世界中に紹介している。でもって、その事実を被災地で暮らしておられる被災された方々に知って頂き、少しでも励みになれば良いなと思っている私たちだ。

だからたまには、makenaizone関連の情報と宣伝をば!
近々に神戸で上映される映画
「3.11ここに生きるーIN THE MOMENT」我謝京子監督

東日本大震災で被災された女性たちが語る311からの暮らし。
三陸ー神戸ー東京と「まけないぞう」でつながった人間模様も描かれています。
(青木も出演しています)

以下被災地NGO恊働センターから

被災地NGO協働センターです。
「まけないぞう」が出演させて頂いている映画「3.11ここに生きるーIN THE 
MOMENT」我謝京子監督作品が神戸で上映されます。女性監督ならでは、
福島、宮城、岩手、そして神戸の被災した女性にフォーカスをあて、生きること
の意味を考えさせられたり、私たちに元気や勇気を与えてくれます。ぜひ、お
近くの方はお越し下さい。

——–
神戸女学院大学 女性学インスティチュート主催 公開上映会
ドキュメンタリー映画「3.11ここに生きる-IN THE MOMENT」
 もう過去には戻れない。 だから、前を向いて 今を、生きていく。

監督:我謝京子
 2011年10月、東日本大震災で女性たちのドキュメンタリー映画「3.11ここに
生きる」を完成。第24回東京国際女性映画祭でのワールドプレミア受賞。その
後も取材を続け、2012年3月に第2弾を完成。既に日本各地、台湾、韓国、イ
ンド、カナダ、イタリア、フランス、アメリカ各地で上映会開催。「被災地に生き
る女性たちの心に迫ったドキュメンタリー作品」として高い評価を得ている。

上映日時:2013年10月16日(水)
       16:40~18:10 上映
       18:10~19:00 我謝監督と本学学生による質疑応答
会 場  :神戸女学院大学 LAⅠ-21
入場料  :無料・申込不要
お問合せ先:神戸女学院大学 女性学インスティチュート
        TEL:(0798)51-8545
        FAX:(0798)51-8527
        〒662-8505 西宮市岡田山4-1
        e-mail:wsi-o@mail.kobe-c.ac.jp


2013.10.6

2013年10月6日 日曜日

広島の日弁連の人権擁護大会から帰ってきて、昨晩は雨のそぼ降る中、東京保険医協会の主催の、東京大学の児玉龍彦医師の除染についての講演会へ。
児玉氏といえば、かなり早い段階で福島の南相馬の除染に現地に入っておられ、今も続けておられ、2011年の国会で「国の対策が余りにも遅い」と、怒りの演説をしたことでつとに知られるようになった元々は癌治療のアイソトープの専門家だ。

90分ほど6〜70人の医師たち共に講演を聴いていて、正直ものすごく不思議な気分になったのだった。
児玉氏のような最先端を走る学者が、低線量被ばくの話をするとき、そこには第一線の学者ならではの統計学が基礎を成して話が進む。

つまり「統計学的に優位」であると判断するに至までには、出来る限り大きな母体数でプロスペクティブ(前向きな)調査が丁寧に行われることが前提となる。厳密なる結果が欲しければ全体数をプロスペクティブに追いかけるにこした事はない……それはそれで、恐ろしく正しい論理であると思う。
そうして、その説明に対して、会場の殆どの医師が頷く。
「レトロスペクティブな調査は手軽ではあるがあまり信憑性がありません」
「福島には科学の英知を集めて…」「科学的に解析して…」「科学者として…」という言葉に、会場の医師たちはいちいち大きく頷くのだ。

けれどもけれども、私たちは最先端の学者ではない。国際的な学術誌に何かの論文を書こうとしている訳ではない。たった今、私たち医師に求められているのは、時間を掛けて丁寧にプロスペクティブに調査して得られる「遠い未来結果」なのだろうか?

児玉氏は今チェルノブイリで起こっていると思われることは、「レトロスペクティブな調査の結果だから信憑性がない」とは一言も言われはしなかったが……。

わたしの書き方の歯切れが悪いのは、わたし自身が一瞬、分からなくなってしまったからなのだ。
前日まで広島で使っていた脳と、恐らく全く違う脳を使わないといけないような時空に出くわして、少し混乱をしてしまったのかもしれない。

えっと、「原発事故子ども・被災者支援法」には、その前提として、放射線の健康への影響が充分解明されていない状況において、予防原則に則って不必要な被ばくを回避することは、全ての国民に等しく認められる権利である」という前提で成り立っている。

つまり、「これから十分に解明してゆくためにプロスペクティブな調査を待てない。だから敢えて不確かであっても予防原則に則ってゆこう」という立場をわたしは取りたいのだが、児玉医師の講演会の雰囲気はそうではなかった。

わたしは医師は科学者であると思っている。紛いもなくサイエンティストだと思う。
けれども、今から起こることを解明してゆくために丁寧なプロスペクティブな調査の必要性を是認しつつも、その結果を待てない。だから敢えて不確かであっても予防原則に則ってゆく、という立場の共存は充分に「アリ」だと思うのだ。

誰がどんな方向から見ても間違いのない真実の統計結果を、今の私たちは待っている時間はない。それにそれは一部の専門の学者に任せて、最前線の医師はもっと予防原則に則って、子どもたち・被災者たち・この国に暮らす人々に寄り添っていかなくてはならないのではないだろうか。それこそが第一線の医師の勤めなのではないか、と、改めて思った晩だ。
          


2013.10.3

2013年10月3日 木曜日

2日の晩から広島に来ている。10年ぶりの広島だ。
10年前、アメリカの下院議員バーバラ・リーさんを日本に呼ぶ会の実行委員として、バーバラさんと一緒に広島を訪問した。それ以来の広島だ。

3日は昼から、日弁連の人権擁護大会へ。
5月にウクライナに一緒に行ったメンバーたちが実行委員の大会なので、昼から7時間、第一分科会でぶっ続けの原発漬けの講義をば。

始めから最後まで、本当に有意義な会であったのは言うまでもない。
その後、打ち上げの会でも、武藤類子さんの森の生活の話に、ものすごく共感するところがあって、話を伺いながら悔しくて悔しくて仕方がなくなったり、西尾先生の馬鹿医者との攻防の日々の話にお腹を抱えて笑ったり、ものすごく楽しい牡蠣舟での宴の晩となった。
ここだけの話し、今年は医学会に全く顔を出していないのに、日弁連の催しにはちょこちょこ通っている。

今日も改めて思ったのだが、元々医師と弁護士は仲が悪い。というか、弁護士のことを煙ったいと思っている医師が多い。
しかし尊厳ある暮らしを守ろうと思った時、最低限人権が踏みにじられないための法律があって、健康が守られるように医療がなければならないだろう。
人が尊厳を守ってゆく車の前輪に法律家が、後輪に医療者があって、その両輪が揃ってサポートできればとてもいい・・・。

近ごろは医師仲間とよりも、こうして弁護士の仲間と居る方が居心地がいい程だが、どんどん医師仲間がこの輪に入って、大きく連携ができるようになるといいなぁ、と、願っている広島の晩だ。

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