増島智子さんのメッセージ 2012年4月19日 いまからが正念場で、「こころの復興」です。

2012年4月20日 金曜日

3.11 震災直後の3月26日からずっと「まけないぞう」を通して被災地の方々に寄り添ってきた 増島智子さんから、昨日メッセージをいただきました。

4月11日に神戸へ戻ったが、週明け26日〜遠野入りして2週間ほど滞在して戻ってきますとのことです。

みなさま、身のまわりのお友達へ どうぞ伝えていただければありがたいです。
「心の復興」まだまだこれから。
ずっと現地で寄り添ってこられた増島さんのことばがずっしりと胸に響きます。

makenaizoneも、これからもたゆまず 「まけないぞう」の応援を続けていきましょう!
作り手さんへ「忘れていませんよ、お仕事づくり 生き甲斐づくりのために まけないぞうをもっともっと作ってくださいね」と伝え続けていきましょう。
風化させない 被災地への思い。
どこにいてもできる「まけないぞう」の応援。
あらためて、これからもよろしくお願いいたします。

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makenaizoneのみなさん、いつも多大なるご支援ありがとうございます。岩手県遠野市に拠点を置いてから早1年が経ちました。この度遠野での1年間の常駐期間を終えて、4月11日に神戸に戻って参りました。遠野在任中は、国内に限らず世界からも本当に多くのご支援を頂き深く感謝いたします。この場を借りて心より感謝いたします。

津波の直後、3月26日にあくろしゅとわー村井と大槌町の被災地に入りました。

その被災地の光景を見て、まるで原爆の落ちた後のように暮らしの足跡といえる「ガレキ」の山が連なり、言葉を失ったのが、つい最近のような、ずいぶん前のことだったような気がします。

被災地には、消防車、救急車、警察、自衛隊などの緊急車両が道路を数十台の車列をくんで走り、あらゆるところで食料や水、物資などが不足していました。被災者は、着の身着のまま逃げてきて、家族や親類・知人を亡くし、流されたまま見つからないなど、口をついて出る言葉は悲惨なことばかりでした。
そんな中で「まけないぞう」を避難所でやることは、これまでの被災地でも初めてでした。いままでは、少し落ち着いた仮設などでやっていたので、まだ緊急救援期の殺伐とした避難所でやることに躊躇もありました。ボランティア活動もハードの「ガレキ」撤去がイメージに強いようで、ボランティアの人にも「なんでいまこんなことをしないといけないのですか」「もっと他にやることはあるのでは」という批判も受けました。
それでも、「まけないぞう」を避難所でやり始めたら、被災者の人たちが「津波の後からずっと嫌なことばかり考えていたけど、久しぶりに津波のことが忘れられた」「久しぶりに頭を動かしたからよう眠れるわ〜」などのメッセージをいただきました。「まけないぞう」を作っていると、鼻が曲がったり、目がびっこだっこになったりしていると、「性格が曲がっているからだよ」とか、「作った人に顔が似るんだよ」とか自然に笑みがこぼれます。
緊急救援期からでもやはりソフト活動は必要なのです。やったことに間違いではありませんでした。それからずっと避難所を回り、仮設住宅へや在宅被災者のところへと「まけないぞうの輪」は広がり続けています。「まけないぞう」はいつも被災者のそばに寄り添い笑顔を届けてくれます。私が辛いときも「まけないぞう」を通して被災者の人からパワーや笑顔をもらいながら、慣れない土地でもやってくることができました。

いまでは、60人近い人たちが「まけないぞう」を作ってくれています。最近では、この1年間必死で生きてきて、やっと少しずつですが、心と身体に余裕がでてきて、「まけないぞう」をやりたいという声が聞こえています。
レポートでも書かせて頂きましたが、いまからが正念場で、「こころの復興」です。なかなか被災地の情報が手に入れにくくなり、被災者も忘れられがちになります。私たちは「まけないぞう」を通して、KOBEから被災地のことを発信し続けていきます。これからは、月に一度くらい岩手県を訪れながら、県外避難者の方にも「まけないぞう」を広げていきたいと思っています。
ぜひ、今後とも「まけないぞう」をよろしくお願いします。最近では、やっと生産が間に合ってきましたので、ご注文を頂いてからお待たせすることなくお届けできると思いますので、友人・知人の方に広めて頂ければ幸いです。本当にこの1年間ありがとうございました。

お礼とご報告まで。
増島智子


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