祭りのあとで

2011年10月23日 日曜日

この7月に被災地に行ったときの、ひょんな事から我謝京子監督の映画『3.11ここに生きる』に出演することとなり、その流れて被災地NGO恊働センターの増島智子さんや和装したまけないぞうと共に、10月22日の東京国際映画祭(含む東京国際女性映画祭)のオープニングセレモニーのグリーンカーペットを歩く機会を得ました。

22日は一日雨の予想でしたが、小雨も上がり、グリーンカーペットの周囲には数多の観客やらカメラマンが立ち並ぶ中を歩き、考えられない程たくさんの歓声とフラッシュを浴びました。
「グリーンカーペットを歩くということは、こういう事だったのか」と、自分の予想とは余りにも違う実態に、驚くという形容詞を超えた感情が湧いてきました。
控え室では心臓が飛び出しそうになっていましたが、不思議とグリーンカーペットの上では気分がとても高揚して、とてもいい気持ちになりました。この感覚は、たぶん人生で初めての感覚でした。
応援&写真撮影に駆けつけてくれたmakenaizoneのメンバーの声もよく聞こえましたし、沿道の人々の顔もよく見えました。

さて、グリーンカーペットを歩くのは5分程だったでしょうか、その後、応援の皆さんと少しお茶を飲んで、私たち3人はオープニングセレモニーの行われるTOHOシネマズ 六本木ヒルズに向かいました。
この会場やロビーはまたある意味、別世界でした。タキシード姿の海江田万里氏やテレビでよく見かける俳優さんが人の渦の中を泳ぎ回っていました。

舞台上ではセレモニーが始まり、ジャッキー・チェンさんに続いて、タキシード姿の野田内閣総理大臣が挨拶を始めました。野田総理もグリーンカーペットの興奮が覚めやらぬうちに登壇。総理は映画が大好きで、生き生きと古い映画の話を語り始めました。野田総理に引き続いて、今度は枝野経済産業大臣が挨拶。

わたしは東京生まれの東京住まいですが、東京国際映画祭というものが、毎年これだけの規模で行われているのだという事実を、全く知らずに生きてきました。
だからこそ、我謝京子監督のグリーンカ−ペットを一緒に歩いて欲しいというオファーも、二つ返事で受けてしまいました。知っていたら怖じ気づいてお断りしていたにちがいありません。
ですので、毎年、時の総理大臣が挨拶に立つものなのか否か、全く知りません。

しかし、今年はこれだけの震災に見舞われた年です。東京はこれだけの映画祭が行われる、東北は大変だけれども首都東京は大丈夫というアピールが世界に必要だという意見もあるでしょう。そのご意見はご意見として賜りますが、それに、わたし自身も予想もしないほど、グリーンカーペットの上で高揚もしたのは事実でしたが、でも、しかし、です。

22日はレセプションパーティーの間に我謝監督とドキュメンタリーフィルムについて、ゆっくり話す時間がありました。
「わたしのドキュメンタリーの撮り方は、当事者に話をしてもらうやり方。よくドキュメンタリーを撮る時に、はじめに結論ありき、の手法を取る場合があるけれども、わたしは違うの。いろいろな人の話を聴いて、それをフィルムに乗せてゆく。観た人がそれぞれ自分で考えてもらう、結論はわたしではなく観た人がそれぞれ出す、というフィルムを作ってきたし、これからもそうでありたいと思う」

それでは、我謝監督にならおうと思います。

21日、千葉県柏市の住宅街にほど近い空き地で、57.5μSv/hという場所が見つかったと千葉県柏市が発表しました。
千葉県柏市というのは、東京の六本木ヒルズまで30kmほどの場所です。人口は40万人。この春から東京近郊のホットスポットとして、住民も苦しんでいる地域です。
22日の時点では、この方放射線量は福島第一原発との関連が不明だったようですが、23日現在、福一と関連有るらしいとの報道が出ています。

小出裕章氏のことばを借りずとも、今の日本は戦争状態と同じだとわたしも思っています。だからこその我謝京子監督の『3.11ここに生きる』が完成したのですから。

そうして、映画がお好きな野田総理が六本木でグリーンカーペットを歩くことは、もしかしたら対外的にとても意味があったのかもしれません。
しかし「何でもないです、大丈夫です」というメッセージばかり出す事が、日本に住むわたしたちにとって、果たしてどのくらいの安心感をもたらすものなのか、と、わたしはとても引っかかってしまっています。
長文をここまで読んで頂いた方々に、たった今のわたしの住む東京都中央区佃という町のベンチの上の放射線量を報告いたします。0.139μSv/hでした。

頑張ろうニッポン! もっと真剣に考えようぜニッポン!


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