2015.8.9

2015年8月9日 日曜日

長崎平和祈念宣言を観てから、長野市の友に会いにドライブ。
積もる話の折々に困った政治の話になる。
彼に歴史を語らせると、信じられないぐらいの知識があるので、時間がいくら有っても足りない。
たらふく蕎麦を食べ、ダベりにダベって帰宅。
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夜型なので、という訳ではないが、夜練にヘルメット被って外に出てみると、霧雨がだんだん大きな雨粒になってきた。緩やかな登りを一気に上がって、お蕎麦屋さんのロータリーに出る。ここから何本かダッシュをしたいのだが、みるみる本格的な雨になってきてしまった午前1時。ダッシュ2本で諦めて帰る。練習も大事なのだが、もっと大事なのは怪我をしないことだから仕方ない。
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夜練のあとは「日本のいちばん長い日」岡本喜八監督を観る。
その昔、岡本喜八監督一家と父母は大変親しくしていた。
恐らく、この映画の頃だったと思う。我が家にはいつもみね子さんが自然に居たし、私はみね子さんが大好きだった。わたしの周囲の大人の中では、子どもを子ども扱いしない唯一の大人だったし、子どもを叱るのが一番上手い人だった。子どもって、上手く叱られると道理が分かって二度と同じ事はしないのだ、ということをみね子さんから教わったように思う。
父母が死んでから疎遠になってしまったが、今もお元気のご様子を何かで読んだ。いつかまた必ずお会いしたいなぁ。などと思いながら映画を観ているうちに寝落ちしてしまった。
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岡本喜八監督があの映画を作った頃、父や母やみね子さんや監督たちは、みな戦争とは何かという問いを自分にしていたし、家族にも社会にもしていたように思う。戦争はもっと身近で生々しく人々の心の中で生きていた。
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あの頃から50年近く経ったのだ。映画の中の俳優や関係者は鬼籍に入った人が多い。
ギリギリの選択の末に、70年間平和であった日本だが、70年経ってあらゆる意味で変わったのは仕方あるまい。70年間も生々しく戦争を記憶している人は、ほんの一握りになってしまったのだから。
ならばここで、今度は戦争を全く知らない私たち自身が、堂々と平和を希求しているのだと、声を上げていこうではないか。
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亡き岡本喜八監督や父や母の苦しい体験を、思い出した長崎忌だった。
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