2014.10.25

2014年10月25日 土曜日
長岡で日本災害復興学会と日本災害情報学会が合同で本大会が行われている。
この2つの学会は、学者ばかりではなく、災害や復興に関係している多彩な業種の人々で構成されていて、法律家、マスコミ関係者から、NPOなどのボランティア関係の人々まで、本当に幅広いメンバーが揃っている。
元々成り立ちの似ている2つの学会だったので構成するメンバーも重なっている場合が多いのだが、中越地震から10年の今年、初めて合同で大会が行われることになった。

それで25日、久しぶりに長岡を訪れた。
中越地震から10年。長岡の駅前はガラリと変わった。
会場のアオーレも素晴らしい施設だった。

中越地震では「創造的復興」ということがよく言われた。
決して現状復古ではなくて、より創造的に未来を見据えた復興計画に沿って……言うはやさしく行うは難しい、古くて新しい難題であったのだ。

今日の公開シンポジウムで新潟県の泉田知事は、10月25日に知事就任する2日前に起こった震災対応を振り返り、災害時に派遣される医療チーム「DMAT 」ならぬ「DGAT」を作って、被災地域の行政を助ける仕組みを作る事に熱心に語っていた。

もうひとつ、泉田知事の話しで心に残ったのは、福島県からの避難者の話だ。新潟県には強制避難区域からの避難者と自主避難者の方々が居るが、強制避難区域からの避難者は最近、補償問題も進みつつあり「談笑」できるようになった。しかし、自主避難者は決して強制避難の人々とは交わらず、話をしていても泣き出す人もいる。日に日に精神的・経済的な状況も厳しくなってきている、と。

ここまで一首長が、他県からの避難者の状況を厚い関心を持ているとは思いもよらなかったが、その話を聞いて増々泉田さんが好きになった。

シンポジウムの後、懇親会に顔を出し、帰路についたのだが、この大会には原子力災害に関して、深く触れているセクションはない事に気がついた。
南海トラフ地震や首都直下地震が起こった際には、この2つの学会が率先して災害後を引っ張ってゆくことになる。今までもそうだったように。
だから、学会自体が原発震災から顔を背けることがあってはならないと思うのだ。

最悪の想定は、我々の手で、しましょうよ。
少なくとも、学会のメンバーに不足は全くないでしょう。原発震災以外のあらゆる想定外の想定は進んでするに、なぜ原発事故の想定を全くしようとしないのか。
誰ともなしに、そんなことをつぶやいてみる夜だ。


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