2014.3.27

2014年3月27日 木曜日

袴田さんが釈放された。

冤罪事件で名高い「袴田事件」の袴田巌さんだ。

DNAなど証拠を立証する方法が進んだことは事実だが、もっと根本的なことをしっかり議論しなければならないと思う。

 

どうしてこんな事が起こったのだろうか。

袴田さんの48年間は誰が返してくれるのだろうか。誰が責任を取るのだろうか。

誰も責任を取らないくてよいという、この官僚システムにこそ大きな欠陥があるのではないか。

なぜ、これほどまでに無謬性を重んじ、責任回避システムが巨大化し機能しているのだろうか。

検察組織を初めとして、官僚システムの無責任主義、そう「集団的無責任主義」こそがこの国の致命的な欠陥なのではないのか。

 

日本のエリート官僚は、ことごとく頭がキレる。揃って、育ちもいい。

しかし、無責任である。圧倒的に無責任なのである。

しかし無論、この社会の大事に対しては総じて「矜持」を持っている風情がある。

ところが、所属から始まって小事のいちいちに関しては心底無責任極まりない。

というか、はじめから責任を持って何かをやり遂げるという意識がまるでない。

責任を取るという文化が無いというべきか。

 

人が社会で生きてゆく中で、大切なものがあるとすれば、それは「責任」ではないのか。

社会的責任、個人的責任が大事なのではないだろうか。

 

しかし、中央・地方問わず、官僚組織はほんとうに集団的無責任主義に貫かれている。

この国は、官僚機構が縦割りになっているのではない。責任を取らないシステムを最大限に拡張した結果、組織が縦割りになっただけのことだ。

民の側にも、お上の責任を追及するマインドが本当に足りないのも悪いのだが・・・。

 

そういえば、取り調べの可視化はどうなったのだろうか。

しっかりと可視化し、責任を持たせるような社会的コンセンサスがなければ、まだまだ袴田さんのような事件は起こりえるに違いない。

 

最後になってしまったが、死刑制度は抜本的に見直しをするべきだ。

なぜそれほどまでに、死刑が必要なのだろうか。

あまりにも過剰に犯罪被害者を慮る、否、興味本位に被害者の情動にスポットライトを当てるのはいかがなものか。

今の風潮は、もしかしたら一番大事なことを見失ってはいないだろうか。

もっと冷静に死刑制度の是非を考える必要があるとわたしは思う。

 

 


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