Dr 青木の遠野物語 23 July 2011

2011年7月23日 土曜日

今回、東北の被災地では、どんな風にまけないぞうが作られているのか。
その現場を見たいと思い立ち我謝京子監督と花巻で落ち合い、遠野のまごころネットに被災地NGO恊働センターの増島智子さんを訪ねました。
増島さんは遠野を基点に、毎日ここから沿岸部と行き来をして、避難所や仮設住宅を訪ねていろいろな相談に乗ったり、まけないぞうを通じて被災された方々との交流をされている災害ボランティアです。

増島智子さん、言わずと知れた被災地NGO恊働センターのボランティアスタッフですが、この方が素晴らしい女性で、現地の皆さんや被災者の方々からものすごく信頼されています。
青木はまず、被災された方々が増島さんに寄せる、その信頼感に本当に圧倒されました。
私たちが伺った日は、午前中に釜石の避難所へ午後は陸前高田の仮設住宅へ行くことになっていましたが、例えばこまめに訪問先の被災された方々の元に携帯電話で連絡をとって、「すみません道が混んでいるので、ちょっと遅れます。さっきの地震大丈夫だった?」と、まるで家族のように話しかけていました。

増島さんは来春まで、遠野に滞在される予定だそうです。
大きなバンを運転して、沿岸部と遠野を飛び回っている日々ですが、雪が降ったらあのバンでは危ないなぁ、と、今から思わず雪の季節を心配してしまいます。

makeanizoneのみなさま、今回私はぞうが生まれる現場で、自分も避難所でぞうを作ってみて、これを東京で一人でも多くのみなさまにご紹介して、お買い求め頂いて、それがほんの僅かでも被災された方々の「安心の素」になってもらえるように、頑張らなくちゃ、と改めて感じた次第です。

ねぇ、みなさま、私たち こんなにも、まけないぞうに魅せられてしまいました。少しでも被災地の、あの方々のお役に立てれば、あの増島さんの肩の荷が少しでも軽くなるのならば・・・青木は喜んでぞうの行商をいたします。
遠野に行って、本当に良かったです。増島さんや被災地のみなさんにお会いできて、本当にやるべき道が見えました。

できることから、やりましょう!

わたしは阪神淡路大震災の時は、当時勤めていた実家の医院を休んで、ある程度(自己満足なんですけれども)自分で出来る限りボランティアができたと思っていました。

それでも、毎回、伊丹空港から帰ってくる時に
「自分はこれから何不自由無い東京に帰るのだ。被災地を捨てて。なんて自分は卑怯なのか」
という思いに駆られました。それも毎回毎回です。

その後、5年ほど前から関西学院大学の研究室に行くようになって、中越、能登半島中越沖、宮城岩手内陸地震と、大きな地震が次々起こりました。
で、その度に現地に赴いて、帰ってくると、自分は何をやっているんだろう、なんて自分は無力なんだろう、と思ってきたのです。

でも昨日、遠野に行って、若い学生達や遠野の主婦の方々などのボランティアの働いている現場をかいま見て、思いを新たにしました。
makenaizoneは、間違っていない! 我々には大きな使命がある!
被災地の方々の生活を、少しでも改善するために、東京に居たってできることがある!

遠野から釜石と陸前高田の2つの被災された方のところに行きました。
釜石では古びた避難所で、元教師の70代の男性が、まけないぞうを作っていました。
でもね、「いろいろな方々にお礼にぞうをあげている。自分のぞうはまだまだ売れるようなものじゃない」とおっしゃっていました。

我謝監督のカメラが回る中、増島さんと菊池さんという遠野のボランティアと青木の4人でまけないぞうを作りました。時間でいえば30分ぐらいだったでしょうか。
すごく真剣に、けれど和やかに、そして一心不乱に集中して、ぞうの耳から針を入れて顔を整えて目を付けてリボンが付いた時の喜び。
その男性も、青木が「東京ではぞうが足りません。沢山作ってください」と申しあげると、何度も何度もしっかりと無言で頷いてくれました。



「作り手さんへ100円からもっと値段を上げてもいいんじゃない? 東京では500円で売れると思うなぁ。作り手さんに200円、被災地NGO恊働センターに300円じゃダメかなぁ、、」
これは、いつも私たちが思い当たることです。
でも一日、増島さんと一緒に歩いてみて、500円にしたら、作り手さんに150円、恊働センターに350円にしなければ、と思うようになっていました。いえいえ、値上げするとしたらの話ですが・・・。

お昼ご飯も車上で増島さんが運転しながらでした。

陸前高田に移動して新しい仮設へ。
夫ともに津波にのまれて自分だけ助かった方や、おばあさんが流されてまだまだ立ちあがれない30代の女性たちに、優しくなにげなく話しかける増島さん。
増島さんと小雨の中を歩きました。
その仮設住宅には、土曜の午後にはあまり若い人の姿は見えず、お年寄りの姿が目立ちました。

ある70代の女性の部屋には、まけないぞうがいっぱい。大きなバスタオルのぞうが2頭。
「それ欲しい!」と何度も口説いたのですが、とうとう譲ってもらえませんでした。
当たり前です。津波で何もかも無くされた方に、青木は何ということをお願いしたのでしょう。今となっては、恥ずかしい限りです。
それでも、これだけ沢山の完成品がありながら、なぜか出荷されていないご様子でした。
そこで青木は、東京から来た「象売りの業者」になりきりました!
「東京ではぞうが足りないです。みなさん、ガンガン作ってください」と連呼しました。
最後にはもう、自分は東京から来た「まけないぞうブローカー」みたいな気分で、「東京で売って売って売りまくるから、どんどん作ってください。待ってま~す」みたいな(爆笑)

まだまだ、被災された方々の心に平穏が戻る日は、全くもって見えません。
町ごと流されて、人生がガラリと変わった方々に、私たちは何もなす術がありません。
「心のケア」などと、人々は簡単に言いますが、そんな言葉、軽々と言うことなど、できません。

今の青木は、311以前と全く変わらない家の中で全く変わらずパソコンに向かっている。
何の苦労も何もしていないで……。

青木は、自分の患者さんの痛みの心のケアだって、医者26年もやっていても、なかなかできません。
ひたすら寄り添って寄り添って行くしか方法がありません。
この大層難しいことを、増島智子さんという若い女性は、淡々としかも大人数に対してやっている。
これは本当に難しことです。

東京でまけないぞうをみなさまに買って頂くことは、被災された方々への支援です。
でも、青木は、増島さんのような、あるいは増島さんをしっかりと支えている被災者NGO恊働センターのような存在こそがなければ、何もできやしないということが心底分かった気がしました。

まけないぞうをできるだけ多くのみなさまにご紹介しましょう。そうして出来るだけたくさんの方々に買って頂きましょう。

そして、まず被災地NGO恊働センターを支援しましょう。被災地NGO恊働センターには代表の村井さんをはじめ、増島さん以外のスタッフも沢山いらっしゃいます。この後方支援組織がしっかりすることで、最前線の増島さんが安心して被災地で被災された方々の支援をすることができるのです。
こういうNGOの存在がなければ、被災地は311から立ち直るなんて、絶対にできやしません。

青木は今回、花巻から盛岡に戻って、はやぶさに乗って帰ってきました。
今回は被災地に行っても、帰える時に後ろ暗くなかったです。こんなの生まれて初めてです。

東京では東京でしかできない支援があります。今はそれをしっかりやりましょう。

青木はこれからも、増島さんを訪ねて時々、遠野に行こうと思っています。
それから近々に、一度、増島さんを東京に来て頂いて、話をお聴きしませんか?

今回は、津波被害だけではなく放射線の被害もある。私たちの国は、本当に傷んでしまった。

けれども、私たちmakenaizoneは、これからやることが、ガンガン増えますよ。
ぞうをたくさんのみなさまに買って頂いて、しっかりとこの国に、災害ボランティアの足場を支えるための新しいボランティアの形を提言していきましょう。
そうして、こういう支援の仕方があるのだということを、これからもどんどん発信してゆこうではないですか!

さあみなさま、始めましょう!


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