2013.5.8

2013年5月8日 水曜日

わらわらしながら、午前中で診療を終えて、午後から関西学院大学@丸の内キャンパスの日だ。

医療部会は松井英介氏の内部被爆の基礎勉強会。聞きながら余りの前途多難さに、途中で何度も気が遠くなる。
続いて、本研究会。人数がぐっと増え、色々な議題が出てくる。いつものことなのだが、ともかく取り留めがない。
会の終盤にあるメンバーが「復興って、いつまで続くのでしょうね。僕たちはどんなタイミングで手を引くのでしょうか」

恐らく、これから我々が死しても、ずっと復興は続くのだと思うのだ、この国は。
いつも思うのだが、1923年の関東大震災から日本は全く復興ができずに、内需拡大は望めず外需を高めるために大陸へ打って出た。その始まりが柳条湖事件である訳で、そこから日中戦争に突っ込んでゆく。もっと言えば、1923年に発行した国債・災害復興債の召還が1928年に来るのだが全く召還できなかった。それで昭和金融恐慌が起こるのだ。内需が延びず、この国は侵略戦争に打って出る。
日中戦争からやがて太平洋戦争へ突き進み、奇襲作戦によりメリケンから鉄槌を喰らいボコボコにされて、で、1945年に敗戦を迎えた。因って、事実上の関東大震災の災害復興は1945年の8月16日から始まったといっても過言ではないのだ。大好きな津久井進弁護士曰く、日本国憲法は災害復興憲法の最たるものだという。
そのぐらい、関東大震災という震災は日本の近代史に大きな陰を落とした災害だった。

それを思えば、私たちの国は沖縄問題を鑑みれば分かるように、アジア問題を鑑みれば自明のように、まだまだ「戦後復興」は成されていやしない。
と、考えてくると関学の研究室に通うようになってから、数えきれないほど「復興とは?」という問いや解を話し合ってきたのだけれども、考えれば考えるほど益々分からなくなってくるのが復興の定義なのだ。半減期が24000年もあるプルトニウムからの復興など、人間は誰一人として想像できないことなのだと思う。

さて今日は、いつもよりもちょっと、頭が回らないでがんす。失礼いたしました。おやすみマンモス!
追伸 あと2つ寝れば、ウクライナ。現地集合の一人旅。段々心配になってきた青木でがんす!


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