ドクター青木のぞうさん日記

makenaizone主宰の青木正美が、自分の生活の中でできるボランティアとは何かを考え、実行してみよう、そんな四方山話を綴ります。
Dr Aoki's Prescription...

2013.5.12@キエフ

2013年5月12日 日曜日

ヨーロッパは日本より6時間遅い。でもって、日曜日の午後にキエフ空港に到着した。

早速に大トラブル発生。日本から頼んでいたたぶん白タクのおじさんが連れて行ってくれたホテルは「Radisson Blu Poclil」。で、チェックインしようとしたら予約に名前がない!フロントの女性が、「ホテルの住所はどこ?」と厳しい顔で聞いてくる。日本から持ってきたメールのコピーを見るも住所は書いてない。仕方なく「I don’t know」と。散々まくしたてるフロントの女性、「Radisson Blu は2件あるのよ」みたいな。
じぇじぇじぇ、早く言ってよ!電話掛けて確かめてもらうと、果たしてもう一件の「Radisson Blu」というホテルに名前があるそう。
それで、タクシーを呼んでもらって、ようやく到着。と、思ったら、メールのコピーを忘れてきてしまった!で、また取りに行くハメに。本当にトホホな旅の始まりだ。

夜、ヘルシンキ経由で沢山のメンバーが到着した。今回、日弁連のツアーに入れてもらっているのだが、その中に福島県いわき市の浜通り法律事務所の渡辺淑彦弁護士の姿を見つけ、ロビーで思わずハグしたのだった。
渡辺弁護士とは初対面なのだが、Facebookでは随分前から知っていて、本当に会いたかった人なのだ。出会いに感謝だ!

追伸 またまたトラブル発生。メールが受信できない。むむ、急用の方はTwitterまたはFacebookでご連絡をお願いします。

という訳で、トホホで始まったウクライナの旅の嬉しい出会いの写真とようやく辿り着いたRadisson Blu ホテル。
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2013.5.11

2013年5月11日 土曜日

土曜日は朝から荷造りに明け暮れました。
なれない海外旅行で、めっちゃ心配。
まず、携帯電話やノートパソコン類の付属物が多いこと。
電源やらコネクターやら、ものすごい量です。

いまさっきトランジットのフランクフルトに着きました。
すると我がiPhneは勝手に現地時間になるんですよ。びっくりしたなぁ、もう。
で、キエフ行きまで3時間ほどの間に、電源を求めてラウンジに陣取り、TwittereとFacebookを覗いています。

問題はウクライナで通信ができるのか…運命やいかに……ちとオーバーか。

写真はミンスク上空の朝焼けです。5.12 8:00 am
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2013.5.10

2013年5月10日 金曜日

怒濤の週が終わった。
もう休んでないで、支度しないと。

何が待っているのか、どんな風景に出会えるのか分からない。ともかくキエフに行ってきます。
出来る限り、TwitterやFacebookやここでもご報告をしたいと思います。
では!

青葉風キエフも曇り13℃
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2013.5.9

2013年5月9日 木曜日

今週はどこを切り取っても怒濤のような瞬間の連続なのだが、残すところあと一日になった。

午後一番に田中幸子編集長のアイルランドへの引っ越し先が決まったとFacebookのタイムラインにUPされていた。なかなか素敵なお家だ。
ここのところ、彼女のスケジュールがタイトで気がかりだったのだけれども、これで一安心。

この春に、長年の友人である脇ゆうりかちゃんが松戸から転勤で津に行ったのだが、少し落ち着いたとみえて「こども東葛ネット」と「関東ネット」で精力的に動き始めた。
こういう事が最近はFacebookのチャットやタイムラインで確認し合えるので、本当に便利になっている。

自民党の憲法案だと表現の自由や結社の自由に規制が掛けられる訳で、するとSNSとか全然使えなくなってしまう。
何が何でも96条は絶対に死守しなくては、と。

ウクライナにはドルを持ってゆくので、閉診後に銀座コアの換金所へ。
いつもの通り、iPhoneでパチリ。
旅行に持ってゆくカメラについて、実はずっと迷っていた。けれども今回はこれでよし、これに決めよう。iPhone とiPad miniがあれば、カメラはもういいや、とやっと今夜割り切ることにした。
ネット接続のことを考えると、現代の旅は国内でもものすごく持ち物が多い青木なのだが、初めての東ヨーロッパではどうなることやら。
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2013.5.8

2013年5月8日 水曜日

わらわらしながら、午前中で診療を終えて、午後から関西学院大学@丸の内キャンパスの日だ。

医療部会は松井英介氏の内部被爆の基礎勉強会。聞きながら余りの前途多難さに、途中で何度も気が遠くなる。
続いて、本研究会。人数がぐっと増え、色々な議題が出てくる。いつものことなのだが、ともかく取り留めがない。
会の終盤にあるメンバーが「復興って、いつまで続くのでしょうね。僕たちはどんなタイミングで手を引くのでしょうか」

恐らく、これから我々が死しても、ずっと復興は続くのだと思うのだ、この国は。
いつも思うのだが、1923年の関東大震災から日本は全く復興ができずに、内需拡大は望めず外需を高めるために大陸へ打って出た。その始まりが柳条湖事件である訳で、そこから日中戦争に突っ込んでゆく。もっと言えば、1923年に発行した国債・災害復興債の召還が1928年に来るのだが全く召還できなかった。それで昭和金融恐慌が起こるのだ。内需が延びず、この国は侵略戦争に打って出る。
日中戦争からやがて太平洋戦争へ突き進み、奇襲作戦によりメリケンから鉄槌を喰らいボコボコにされて、で、1945年に敗戦を迎えた。因って、事実上の関東大震災の災害復興は1945年の8月16日から始まったといっても過言ではないのだ。大好きな津久井進弁護士曰く、日本国憲法は災害復興憲法の最たるものだという。
そのぐらい、関東大震災という震災は日本の近代史に大きな陰を落とした災害だった。

それを思えば、私たちの国は沖縄問題を鑑みれば分かるように、アジア問題を鑑みれば自明のように、まだまだ「戦後復興」は成されていやしない。
と、考えてくると関学の研究室に通うようになってから、数えきれないほど「復興とは?」という問いや解を話し合ってきたのだけれども、考えれば考えるほど益々分からなくなってくるのが復興の定義なのだ。半減期が24000年もあるプルトニウムからの復興など、人間は誰一人として想像できないことなのだと思う。

さて今日は、いつもよりもちょっと、頭が回らないでがんす。失礼いたしました。おやすみマンモス!
追伸 あと2つ寝れば、ウクライナ。現地集合の一人旅。段々心配になってきた青木でがんす!

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