ドクター青木のぞうさん日記

makenaizone主宰の青木正美が、自分の生活の中でできるボランティアとは何かを考え、実行してみよう、そんな四方山話を綴ります。
Dr Aoki's Prescription...

2012.12.09

2012年12月9日 日曜日

土日は洗濯・掃除・料理作り・DVD鑑賞と普段できないことをやる。
それでも時間は瞬く間に過ぎてゆく。
しかも最近、妙に忘れっぽい。
晩に故・中村勘三郎丈の追悼番組を観ながら原稿を書いていたら、出演者のあまりの懐かしさに、題名をつけ忘れたまま編集者に送ってしまった。
さぁて、新しい週が始まる。しっかりしなくちゃ。
追伸 9日の夕刻、珍しく360度の夕焼けが観られた。


2012.12.08

2012年12月8日 土曜日

12月8日は太平洋戦争の開戦の日だ。1941年のこと、日本軍は真珠湾に攻撃を行った。
戦争を知らないわたしにとって、「どうして誰にも止められなかったのだろう」と、ずっと不思議に思ってきた。
しかし歴史的事実は、当時の国民に熱狂的に支持されて、この国は太平洋戦争へと突入していったのだった。
いつだって戦争は、子どもや女性や高齢者や男性にだって、大きな犠牲が降り掛かってくる。
もう二度と他国と戦争をしない、と、日本は憲法で決めている国である。
そうだ。決まりはしっかり守ろうではないか。


2012.12.07

2012年12月7日 金曜日

金曜日の夕方、外来の最中にM7.3の三陸沖地震が起こった。
311とは震源地もマグニチュードも違うのだが、すぐに311の記憶に飲み込まれた。
あの日からいつも直面してきた底知れない不安が、みるみる加速してゆく。
けれども……不安の元を照らしてみると、今のままではどうにも解決できないことが分かる。
核燃料サイクルを見直して、核のゴミの最終処分をどうするのか決めなくては、解決へと向かうはずがないではないか。
果たして、このどうしようもない不安の渦を、微かでも希望に変えることはできるのだろうか……。
いえ、どうしても希望に変えてゆかなくてはならない。もう一度決意して、眠るとしよう。


2012.12.06

2012年12月6日 木曜日

いつもなにかしら書き物の〆切を抱えているのに、ここ10日ほど〆切のない日々に
とっぷりと浸かっていた。〆切がないというのはこんなにも穏やかな日々なのか……。
それで、今までサボっていたmakenaizoneの日記を再開しようと考えたのだ。
しかし、そういう刹那的な思いつきは、わたしの場合、必ずすぐに破綻をきたす。
そう。〆切がなかった訳ではなかった。忘れていただけだったのだ。
かくしてわたしは、いつものように綱渡りの生活に逆戻りするのだった。
日中暖かかった東京。夕刻からぐんぐん気温が下がってきた。
ほら、寒波がやってきた。


2012.12.05

2012年12月5日 水曜日

早朝に訃報の電話が鳴った。
相手もわたしが寝ているのを承知でお知らせくださったのだろう。
電話を切ってから、わたしは突き刺さってきた現の中で、たぶん浅く眠り、短い夢を見た。
わたしは小学生。日比谷線の中でよく出会った暁星小学校の波野くんの黒い革靴とよく通る声……。
夢から醒めて、いつもの川面でシャッターを切った。
そこには舳先を岸に向けた不思議な舟がいた。黄泉へと向かう小舟だったのかもしれない。

悼 十八代中村勘三郎丈  寒暁に小さき舟のる中村屋

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