2015.9.17

2015年9月17日 木曜日

安全保障関連法案が参議院平和安全法制特別委員会で可決された。
その後は参院本会議で可決されれば、戦後レジームに完全に決別をすることとなってしまった。
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わたしは57年間この国の国民として、日本国憲法で保障された全ての権利をほぼ享受してきた。もちろん差別され、時には大きな権力で捻り潰されそうになったこともある。
一方で、国民としての義務も真っ当に果たし、法律もかなり厳格に守っててきたし、またこの国の医師として医師法をはじめ関連の法律も非常に厳格に守ってきたつもりだ。
それはこの国の憲法が制定されて以来、法的安定性を保つべく先人たちが不断の努力によって、これを維持してきたからこそわたし自身も所謂六法を守る事で、大きく考えればこの国の秩序を守ってきたのだ。わたしの知る限り、わたしの家族・友人知人はみなそうではなかったか。
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その上で、わたしが何故この度の安保関連法案とその決定のプロセスを信任できないかといえば、箇々の理由を差し置いて第一の理由が、法的安定性が揺らぎ、ひいては法の秩序がなくなる社会へ引き金を引いた、立憲主義を無視した憲法違反の為政者がまかり通っているのが心底、許し難いからである。この点だけは絶対に譲れない。
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何人も勝手に憲法九条の解釈を変更してはならなかったのだ。変えるのであれば、しっかりとした手続きを踏む。そうして踏むことにより、日本国憲法はより研ぎ澄まされた存在であることが分かる仕組みにもなっていた。
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人間の社会というのは、時に欲と愛憎が入り乱れ病に倒れして、人が腐るということが起こるものだ。そんな腐った状態の人間を、わたしはそれこそ腐るほど見てきた。自分自身も腐って魂の抜け殻になったこともある。
だから人の支配であってはならない。法の支配でなければならない。その法は憲法に合致するか否かを慎重に厳重に吟味されてきた。そうした法によりわたし達は法理的に縛られているからこそ、この社会生活が成り立っているのだ。
では、権力者を縛るものは何か。それが憲法である。
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権力者は腐りやすい。腐った人間が寄り集まってくるからだ。
腐りやすい人間のそのまた、もっと腐りやすい権力者が、自ら勝手に憲法の解釈を変えてしまえば、あとは腐敗の度を増してゆくのみではないか。
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少し見方を変えよう。
では、何故ゆえに権力者が立憲主義を無視し、日本国憲法を蔑ろにしているのだろうか。答えはたった一つである。いくら蔑ろにしても、罰則がないからだ。
日本国憲法にはたった一つ、足りない重要事項がある。憲法裁判所の存在だ。
現行では個々の損害を被った人々が民事訴訟として政府を訴えなければならない。しかも下級審から始まる裁判だ。最高裁の判断が確定するまでには途方もない時間がかかる。
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腐りやすい人間のそのまた、もっと腐りやすい権力者は、最高裁の判決が降りるまで、原型を留めることはないだろう。
だからこそ、憲法裁判所が必要だとわたしは思うのだ。
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今までの権力者は、かなりのブレーキを効かせて、ギリギリ日本国憲法を守ってきた。
しかしこの内閣は違う。安倍晋三内閣及び自公民次世代ターリーズなどは、日本国憲法第九十九条に明確に違反している。

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憲法裁判所を設置するための改憲発議なら、いつでもわたしは歓迎する。


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