2014.4.24

2014年4月26日 土曜日

田原節子さんが亡くなってから、今年で10年になる。

それで娘さんの江川綾子さんと北原みのりさんと集まった。

綾子さんとは、一時は何というか介護の同志というか家族みたいなものだった。みのりさんとは10年前の節子さんの「偲ぶ会」を京橋でやって以来のお付き合いだ。

今夜は銀座の沖縄料理屋さんで、節子さんを偲びながら、気がつくとずっと地震と福島の話をすることとなった。

それにしても、もう10年も経ったのか。

晩年の節子さんとは、それはそれは濃密な時間を過ごさせて頂いた。

ウーマンリブの話し、女性と社会の話し、政治の話し、時事の話し、食べ物の話し、石原慎太郎氏の東京ウィメンズプラザ潰しに反対する集会も一緒に行ったっけ。

毎日毎日、よくもあんなに話が続くものだというぐらい、沢山の話をした。

今夜も会話の途中で、もしも節子さんが生きてこの時代を見たら、何と言っただろうか何度もその話しになった。

節子さんの教えや印象は、娘である綾子さんや、取材の相手であったみのりさんと微妙に違うのだが、たぶん節子さんが生きておられたら、「最後の一人になっても九条を守りなさい」「もっとしっかり福島の女をサポートしなさい」と言うに決まっている。

福島には声をあげられないママたちがたくさん居る。あげていた声が続かなくなっているママたちがたくさん居る。どうにもならない女性たちが(もちろん男性たちも)たくさん居ることだろう。その人たちを、東京のアシストが可能な女たちが寄り添って支えてゆくのは、ごく当然のことだろう。

たった今、わたしたちは世界史に残る事故の当事国に生きている。しかも、その事故を起こした発電所からの電気をたっぷり使って生活をしてきたのだ。だから、東京の私たちは出来る限りをしなくては申し訳が立たない。

福島の若いママたちをこれ以上孤立させてはならない、心からそう思う。

必然的に311以降の話しになったのだが、阪神大震災以来、災害復興をずっと見て来て、この311ほど震災に対しての人々の反応で性差を感じた災害はない。

実際にはもう既にこの国では、事は「男である」とか「女である」とか「若い」とか「若くない」とか「支配階級である」とか「無い」とか「体制側」とか「反体制」とか「右」とか「左」とか、そういう単なる社会的区別・マーカーは、有っても無くても関係ない状況に入りつつあるのだが、敢えていうならば「子どもの命を目前にしたママたち」が最も大きく被害を受けた震災だった。

そういう観点から311を見てゆくことで、もしそう言ってよければ節子さんを充分に偲んだ夜になった。

きっと節子さんが元気だったら、今ごろ一緒に福島に行っているに違いない、などと思いながら、みのりさんと来月の福島行きを約束して帰路についた。


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