2014.4.19

2014年4月26日 土曜日

19日は関西学院大学の災害復興制度研究会@丸の内。
本年は、ともかく被災ママや避難ママたちを繋ぎたいと思い、津市から脇ゆうりかさんに来てもらって、今年度のアウトラインを話し合った。

脇ちゃんとは16〜7年前に銀座の防災担当として、一緒に仕事をして以来の仲間だ。
311以前から、わたしの災害に関する思いや考え方を一番理解してくれているのが脇ちゃんだ。ちなみに、わたしは脇ちゃんのことを「大後輩」と呼んでいる。

「大後輩」というのは、自分よりも年下だがとても尊敬できる友人のことで、現在、脇ちゃんをはじめ5人ほど「大後輩」に認定している。
青木の「大後輩」に認定されると、一つだけ特典があって、生涯一緒にご飯を食べるときはご飯代はかからない。ま、大した特典でもないけれども。

脇ちゃんは311は松戸に住んでいた。昨年春、夫の転勤で関東から転出したが、東葛地域のママ達のネットワークの中心にいつも居て、松戸周辺の土壌調査を誰よりも先んじて始めたママ達でもある。
研究会のあと、久々に蕎麦などを食べながら、災害の話からSTAPのことまで、本当に話が尽きないのだった。

そんな楽しい時間を過ごして、終電の3本前の長野新幹線に飛び乗った。
軽井沢に着くと、気温1℃で小雨が降る濃霧。大好きな霧雨の軽井沢だ。
いの一番にタクシー乗り場に行く。降りたお客さんは10人ほどで、タクシー乗り場には5人ほど並んだが、タクシーが一向に来ない。待てど暮らせど来ないのだ。
夏場の盛りでも、こんなにタクシーがいない事はない。終電までしっかりタクシーがあるのが軽井沢駅の素晴らしいところなのに、一体どうしたことだろうか。

タクシー乗り場の簡易屋根の隙間から霧雨が容赦なく降り注ぐ。
雨と風で皮のジャケットがだんだん濡れてきて、どんどん体温が奪われる。
わたしの次で待っている高齢の女性とその後ろの男性2人と、自然に会話が生まれた。
皆、土地勘のある人たちで、それぞれ贔屓のタクシー会社に電話する。
駅でお客が凍死しそうだと訴えても、待っててくださいという梨の礫だ。

そのうち、一台でもクルマが来たら、乗り合いをして行こうと話ができた。
けれども、それでも中々タクシーはやってこなかった。なんという事だろうか。
寒さに耐えきれず駅舎に戻ってゆく人、家人に迎えに来てもらう人、気がつくと客は2人になっていたが、そうこうするうちに次の新幹線が着いて、到頭新しいお客が降りて来た。
つまり20分も待ってしまったのだ。

で、漸くタクシーが来たと思ったら、「貸切」の表示が・・・。
目の前に絶望のランプが点滅をはじめた。声も出ないほど凍えて25分待って、やっと「空車」が来たのだが。運転手さんに聞けば、今日は結婚式が沢山あって、2次会3次会へとタクシーの貸切が続いているのだという。
「こういうの、困るんだよ〜。待ちが多くてね」って、運転手さん。
いやいや、困り果てたのはこっちだぉ。
日陰ではまだ雪の残っていて、恐らく体感気温はマイナス3〜4℃だったと思うが、正直、軽井沢の駅前で低体温症で絶望的になるなんて、思ってもみなかった。

さて、前置きが長くなった。
「乗り合いタクシー」の話をしたい。
311でも、その前の千葉県北西部地震でも、全くタクシーが来なかった。
その時に走っているタクシーをみると、お客が一人ということが多々あった。

現在の道路運送法では、何があっても運転手が「乗り合い」を指示することができない。例えば、渋谷から銀座に行きたいお客は、運転手が客集めをしてはならない。ただ、事前に客同士が話し合って、乗り合うことは許されている。

この大災害時代に、ここを変えるべきではなかろうか。
マグニチュード7以上とかJRが止まったとかの場合は、運転手が同じ方向の客に声をかけても良しとできないだろうか。
ま、確かに多いにリスクはある。ロングのお客さんだけを集めてしまう恐れもあるのだが、ともかく「災害乗り合いタクシー」を考えてはどうだろう。

もし、タクシー協会で決定することが困難ならば、せめてこの議論を、客である私たちが口伝えで広めて行けないだろうか?
自分がタクシーに乗る段になったら、列の後ろに向かって「銀座方面の方、ご一緒にどうぞ」などと、声をかけ合う。

実はこれ、いざとなると、けっこう勇気がいる行為なのだが……。
いや、だからこそ、声をかけ合って「災害時の乗り合いタクシー」やらなくては!

 

 

 


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