2013.8.27

2013年8月27日 火曜日

生まれて初めて、NHKの朝ドラにハマって5ヶ月目になる。
5年ほど前に久慈市から三陸海岸沿いにドライブをしたことがあり、小袖海岸も知っているところだったし、初めはボーッとテレビを見ていた。

正確に言うと、ウィークデーの朝8時というのは、わたしにとって戦争状態で朝の支度の一番忙しいときなので、実はゆっくりテレビなど見ている暇がない。
第一、朝はテレビ朝日をかけていることが多かった。

ところが何故だかこの春に限って、NHKをかけていた。そこに何やら楽しげなテーマソング。懐かしい東北弁。初めは筋も分からず、急いでいるし、第一眠いし……。

ところが、じぇじぇじぇ。
気がつけば、毎日NHKをつけ放しにしながら朝の支度するようになり、アキちゃんや春ちゃんや夏ばっぱや三陸の人たちが、まるで家族のような気分になっている自分が居て、これが毎日、不思議で不思議でたまらない。

ストーリーは至ってコミカルなドラマで、あり得ない偶然が重なるし、ときどき宮藤官九郎の小ネタが「遊び過ぎ」だったりもするのだが、これが全て許せるし愛おしい。そうそう、それこそが「ハマる」という状況に違いない。

「あまちゃん」人気の理由は、何と言うか社会学的にいくつか理由があると思うのだが、災害社会学的に考えるに、明治・昭和・平成と歴史的にいつも大きな津波災害を背負いながら、リアス式海岸で暮らす人々への応援歌なのかなぁ、と思うことしばし。
あるいは、311前のわたしたちの暮らしとは、かように長閑な暮らしだったか、という懐かしみもあるのかもしれない。

いずれにしても、「あまちゃん」の視聴者は、アキちゃんや春ちゃんや夏ばっぱや三陸の人たちとともに、もう一度これから311を追体験することを、そう、「覚悟」しながら日々を送っている。

クドカンがどんな風に311を描くのか分からないのだが、恐らく視聴者は皆そのことに注目しているし、実は311を直視するのが怖いのだが、クドカンの台本だったら大丈夫のような気がする。アキちゃんや春ちゃんや夏ばっぱや三陸の人たちとともに、自分も乗り超えられる気がする、と。

わたしが災害復興に関わり始めて、かれこれ20年近くになるのだが、災害の話を突き詰めると、結局は実体験をして初めて我がものとなるというか、自分が被災して初めて災害に向き合えるようになるのが人の世だ。
その意味で、事前に災害に対しての想像力をかき集めるということは本当に難しいし、それを伝える事はもっと難しい。これはもしかしたら日本人のDNA由来なのかもしれないが、災いに対しての負の想像力を長く保っていられないし、逆に起こってしまった災いは水に流す的な考え方が根強くある。

ところがどうだろう。「あまちゃん」でクドカンは、そんな日本人のDNAをいとも簡単に、柔らかく崩してしまったのだ。

で、それはそれで、災害社会学的に考えると、ものすごくスゴイことなのだ。アキちゃんや春ちゃんや夏ばっぱや三陸の人たちとなら、これから起こる災害に対して心の準備ができるということなのだから。つまり、この5ヶ月間、わたしたちは皆、負の想像力をもち続けながら、毎朝ドラマを見て生きてきたのだ。
これは災害学や社会学や災害復興学のフィールドで長年研究してきた、名だたる学者や記者たちには、けっして超えることができなかった大きな課題(負の想像力を持続させること)を、「あまちゃん」はいとも簡単に解決してしまったわけで、重ねて言うが、これは本当にすごいことなのだ。

さてと。こういう屁理屈をこねていないで、早くベッドに入らないと、明日の「あまちゃん」を見逃すハメになっちまうぜぃ!

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