ドクター青木のぞうさん日記

makenaizone主宰の青木正美が、自分の生活の中でできるボランティアとは何かを考え、実行してみよう、そんな四方山話を綴ります。
Dr Aoki's Prescription...

2013.4.12

2013年4月12日 金曜日

今日の閣議で『大規模災害から復興に関する法律案』が決定された。
311後、特別立法して施行されてきた法律を、今後の大災害のために恒久法にしようという法案だ。
311の経験は、善くも悪しくも次の大規模災害に対してwake up callになったのだろう。
長所短所はあるだろうが、大規模災害に関しての恒久法は当然ながらしっかり整備をするべきだった。
その意味で、一定の評価に値する。殊に、災害救助法を厚生労働省の所管から内閣府に移したことは画期的だった。
一方で、未だに個人情報保護法の縛りがとれない部分がある。個人情報とは命あっての物だねではないのだろうか。

閉診後、久しぶりに官邸前へ。
寒くて小雨も降っていたせいもあるが、去年の最盛期の1/100いや1/500ほどの人しかいない。
なのに相変わらずの過剰警備が続いている。まあ、警官もそれなりに少なくはなっているのだが。
いつもは国会前から桜田門近くで20時のドラム隊を聞いて帰るのだが、今夜は経産省のテント前に坂を下った。
テント撤去の仮処分問題の集会も終わった後らしく、またここも閑散としていた。

それにしても、現状の形勢をどう回復してゆけばいいのだろう。
心ある人たちは、みな多いに悩んでいるだろうが、実際にはどんどん尻つぼみになっていってしまっている。
結局は、やっぱメディアがダメでしょ、という結論になってしまうのだが……。

川の春ひねもす上り下りかな

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2013.4.11

2013年4月11日 木曜日

月に一回、座禅を組んでいる。
30分座禅をして、その後に禅の勉強会、その後は飲み会となるのだが、下戸であってもそれがなかなか面白い。
僧侶と文字通りの「禅問答」というか、時事問題に絡めて多いにそう、哲学を語る夜である。

30分間、無我の境地になる。自我をどれだけ捨てられるのか……ところが無我の境地のそのまた遥か以前に、毎回お尻の痛みと闘わなくてはならない。
おまけに今日は寒くて、寒さとの闘いも待っていた。
それでも運が良ければ15分ほどで、脳にアルファー波が出てきて身体がラクになる。

たった今、大きな大きな悩みと憂いを抱えてしまった私たちである。それと正面から365日真っ向からつき合うことはないのではないか。
憂いをほんの少しの間だけでも、忘れる術を持っていたら、どれだけ楽になるだろう。
例えば、電車の中で俳句を考えている時、ふとした風景が目に止まって季節を感じる。無意識のうちに季語を探す。いい季語が見つかる。それをどこに使おうか。キレ字はいるかしらん。いっそ七七の武玉川でも素敵かも、と。
あの、俳句を考えている時のように、少しの間だけ脳のスイッチを切り替えることができればいいのに。しかもいつでもどこでも無我の境地になれれば、どんなに心安らかになるだろうか、と……そう思って幼なじみが世話人をしている座禅の会に飛び込んでみたのだけれども、待っていたのは、お尻の痛みとの闘いだった。

今夜もお尻の痛みと闘いつつ、福島第一原発の高濃度汚染水はどうすれば解決するのか、順を追って考えてみたのだった。
しかし第一、どこを冷やしているのかさえもう殆ど報道されていないし、どんな水を使ってどんな風に還流をさせているのか具体的には報道陣も見た訳でない。でもって、その水は本来の地下水脈に入ってゆかないのだろうか。ゆくと思うのだがなぁ。すると少なくとも北米プレート上の大地には、地下水由来のセシウムやストロチウムが付いてやしないのだろうか。そうして、やがてもっともっと溢れて汚染水が海に流れる込んでゆくことになれば……。おおーーー、いつの間にかアルファー波が出てきて思考が停止するのがはっきりと分かったのだった。これってもしかすると、あまりに途方もないことを考えると、人間の脳は勝手にシャットダウンしてしまうのかもしれない……だ、だからこそ、世界中の英知を福島に結集しなくてはならないのだ、と、改めて思った座禅の晩だ。

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2013.4.10

2013年4月10日 水曜日

今日は13時に診療を終え、すぐさま関西学院大学の丸の内キャンパスへ。
14時から3時間、17時から3時間の研究会がぶっ通しで行われた。
じっと座っての研究会は辛いなぁ。されど、6時間が心地よくあっと言う間に過ぎて行った。

それにしても妙な言い方になるが、この甚大な被害を起こした東日本大震災において、百万が一にでも「収穫があった」とすれば、若くて優秀な女性たちの存在が明らかになったことだと思う。
もちろん、百万が一のたとえだけれども。彼女たちはほとんどが若いママである。小さい子どもを抱えて避難をしたママたちだ。
このママたちが避難先でネットワークを作り、互いを助け合い励まし合い、しっかりとした理念を分かち合って勉強もし、なるべく余暇も楽しむ。そうやって毎日揺れながらけれども生き抜いてきた若いママたちの存在こそ、東日本大震災の「宝」だと思うのだ。

今では主に山形でネットワークを作って活躍しているママたちと親しくしているが、中でも今日話を伺った彼女の素晴らしいところは、自分が福島に帰還したのをきっかけに、自らの経験をもとに避難先から福島に戻る「帰還家族」の支援を始めたことだ。
何度も何度も揺れて、その度に躓いて、傷ついて。でも帰ると決めたママたちを支援しているのだ。

このママたちの柔軟性というのは、原子力ムラや官僚組織など全く柔軟性の無い硬直しきった「Top of the 男社会」と、対局にあると言えるだろう。
よって、「Top of the 男社会」の硬直度が余計に際立って茶番にみえる今日この頃なのである。

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2013.4.9

2013年4月9日 火曜日

朝鮮半島が増々、喧しくなってきた。北朝鮮が弾道ミサイルを打ち上げようとしているらしい。早まるでない、若大将よ。
あれこれトラブルに巻き込まれないで、できるだけ本を読みたい、できるだけ見聞を広げたい……そんな事を切実に思う今日この頃だ。

待ちに待った、2013年4月10日の午後一番から、新しい研究会が始まる。
関西学院大学災害復興制度研究所@東京キャンパスではSaflanのメンバーとともに「原発避難者支援制度研究会」が昨年度から継続して行われているのだが、そこに医療部会が新設される。

医療部会では「子ども・被災者支援法」における純粋な医療制度の部分に特化して、制度を整えるべく出発する。山中茂樹教授から人選を任せられて、この際交通費も気にせずに、全国各地からベストメンバーにお集りいただけることになった。
あの86年4月26日に起こったチェルノブイリの事故後、ウクライナでは91年2月27日には所謂「チェルノブイリ法」の基本法案が議会に提出された。ソビエト連邦が崩壊して動乱を経てもなお5年で立法されようとしたのだ。

日本ではどうなのだろう。わたしは「子ども・被災者支援法」をsaflanの河崎弁護士が主張するように、移住の権利だけに光が当たればいいとは決して思っていない。この法律の中で、しっかりと医療保険を確立したいと強く願っている。
例えば、広島や長崎の「原爆手帳」制度のようなものに持ってゆきたい。掛かった医療費は全て「国費」から拠出する。つまり医療保険の恒久法化を目指す。今のように「福島復興再生特別措置法」から検査費が出ているというような、そんな取って付けたような制度ではなくて、だ。

私たちの研究班にあと3年で日本版チェルノブイリ法が作れるとは、正直、到底思えない。なぜならば具体的な数字や法案の条文作りがいくら進んでも、社会的な関心がついてこなければ、大型の国費の投入は難しい事だろう。この福島第一原発事故は国策による人災そのものだったとしても。
けれども、1945年8月にアメリカの攻撃に因って起こった原爆症に対して作られた原爆手帳が、いまだしっかりと機能している今日なのである。この度の原発事故による被害者の医療費を「特措法」などという一時的な法律で済ませる訳には到底いかないはずなのだ。
だからそのためには、医療部会のメンバー一同が、「311後の人々」に対して、どんな風にアピールが出来るのか、にかかっているのかもしれない。このアベノミクスがさんざめく中で……。

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2013.4.8

2013年4月8日 月曜日

吹き曝してぞ朝焼けに焼け #mutamagawa

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