ドクター青木のぞうさん日記

makenaizone主宰の青木正美が、自分の生活の中でできるボランティアとは何かを考え、実行してみよう、そんな四方山話を綴ります。
Dr Aoki's Prescription...

2013.5.22

2013年5月22日 水曜日

ウクライナの旅の日記 5月15日(水)

【コロステン自由市場】

朝からETV特集にあった自由市場に行って、市場のベクレル測定を見に行く。

市場内は全部で1000件のブースほどの出店がある。その中で食べ物を扱うのは10~15%ぐらいだろうか。
10-15の肉類、25-30の野菜の卸(産地)があるそう。それらを物体毎に「全品検査」する。
ベクレル計はこの市場に3台。一日20~30の検体を測るのだそうだ。

Nalシンチレータだろうか。鉛遮蔽をしていなベクレル計だが、容器に500gの検体を入れると、
120秒後にセシウムの値がBq/kgに換算されて出てくる。この機械の検出限界値は15Bq/kg。
ベクレル計はセシウムとカリウムを測るモードがあり、120秒コースと20分コースの2コースが選べる。
測った物には数値を書いた証明書が添付される。
もし高い数値であれば、もう少し丁寧に20分かけて再検査するのだそうだ。
証明書がないものは自由市場では売ることは許可されないし、市場内に店舗を構えることはできないのだという。
違法の物品がないかどうか、取り締まりの検査官も市場内を巡回している。

判断基準のセシウム値は、2006年のベラルーシ政府制定のもの。
牛乳  100 Bq/kg
バター 200 Bq/kg
肉   200 Bq/kg
魚   150 Bq/kg
野菜   60 Bq/kg

ここ2年間は異常値は見つかっていなかった(NHKの番組情報)が、今年に入って2件のオーバーが検出された。いづれも西ウクライナのローベンスク州からの肉だったそうだ。

検査官が私たちの目の前で牛肉を測って見せてくれた。120秒で18Bq/kg。
検査官は一カ所に2人ほど常駐している。

【第12学校】

第12学校へ。1992年に創立。20周年。全校生徒は6歳~17歳まで、計705人。
ここは地域の「健康強化校」だ。50代後半の女性校長ガリーナ氏は仕立ての良い服を着ており、英語を流暢に話す。
この学校には、同敷地内に長崎大学が運営協力をしている「健診センター」が付属している。
(健診センターは1990年にオープン。30人の医師を擁する。小児科・内分泌・整形外科・眼科・婦人科・精神科などから成る医療センターである。毎年3月には20日間を費やして、この健診センターからドクターが学校に来て入念に検査をし、次年度のグループ分けをする)

長崎大学の大学院生の木村さんという医師が派遣されており、話を聞くことができた。
血液が専門だが、今は甲状腺のエコーをやっている。研究内容は、甲状腺の自己免疫疾患について。
ここで2つ質問。
「甲状腺の自己免疫疾患というと、橋本病のことでしょうか」
「はい、この地域では橋本病がとても多く発症しています。ご覧の通り大変祖末な施設で長崎大から研究員を在駐させ研究費も出ていますが、約90%は人件費に消えてしまいます」
「血液検査の項目を教えてください」
「血液検査は、血算、生化、甲状腺ホルモンなどです」

なるほど。長崎大学ではセンターの創立以来、この値を持っているのだ。
この学校は長崎大学の協力があっての「健康強化校」である。人口6万人の町の705人の生徒の動向が掴めれば、被曝健康管理に多いに役立つはずである。
改めて長崎大学の影響力の大なる事を認識した次第。
ぜひとも長崎大には、長期的な視野に立って福島の事故の救済に当たって欲しいものだ。

ところで、HNKの番組では子どもたちの体育について病弱で体育ができないと伝えており、その番組の信憑性を確かめた。
ウクライナの学校では、子どもは4段階に区別される。この区別は毎年春に行われる、医師による健康検査によってグループ分けが行われる。
第12学校全校生徒705人の本年度の内訳は以下の通り。

A 基本グループ      210 人 ……普通に運動できる元気な子ども
B 運動軽減Gr.      377 人 ……運動量を減らして体育の時間を過ごす子ども
C 特別メニューGr.    110 人 ……特別なメニューで体育の時間を過ごす子ども
D 全く運動不可Gr.      8 人 ……全く運動できない子ども

「実際にB & Cグループは増えていることは事実」と校長。
「また、体力温存のため、8年生以下の試験を廃止している。理由は試験を実行すると、生徒が疲れてしまうので」

ここでは子どもの保養プログラムについて。
コロステンには黒海や英国に行く保養プログラム(注:ヨーロッパ各国のNGOなどからの保養プログラムが多々ある)もあり、毎年必ず生徒たちは保養地に出かけている。

保健室で保険の先生にお話を聞いた。
「一日の保健室の利用は15人ぐらいです」
棚には何種類かのタブレットがあった。

【家庭訪問】

コロステン市内の牧師さんのご一家を訪問し、お話を伺った。

父38歳、母40歳の夫婦に7人の子ども。同居の母を入れて10人家族。
チェルノブイリ事故の時は、父12歳、母14歳の時。
「事故は知らされず、メーデーのパレードをしました」
「普段は家庭菜園で食物を作っています。時々、森にベルーやキノコを採りに行きます。たいへん楽しみにしています。線量が高いかどうか心配になることもありますが、普段はほとんど気にしません。時々、市場に測りにゆきます。先日採ったラズベリーは測定して、大丈夫でした」
「私(母)と一番したの息子は甲状腺機能に異常があり、半年に一回はキエフの病院に通って検査をしています」
「年に一回は一家で車で、黒海などに保養に行きます。学校で集団保養に行く子ども居ますが、私たち一家は予防接種をしない主義なので、学校での集団保養には参加できないのです」
「この地で生きてゆくには、楽観的に過ごすこともたいへんに重要なことです。日本のみなさんもどうぞ希望を持って生きましょう」
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2013.5.21

2013年5月21日 火曜日

ウクライナの旅の日記 5月14日(火)
コロステン一日目

朝からバスで移動。
コロステン市へ。コロステンはチェルノブイリの西140km、人口66000人。ちょうどあの日に、風下になった町である。
人口66000人のうち実に56000人がチェルノブイリ法の認定患者である。

【コロステン市長】
ソビエト連邦下の共産党の書記官だった市長。
2009年に医療改革があって、事故やその後のウクライナ独立後の医療体制は万全とは言えないのだが、長崎大学には以前からたいへん深い連携があり、日本にはたいへん感謝している。
チェルノブイリ事故から27年。
ソビエト連邦崩壊から難しい時期もあったが、現在はわずかながら人口・出産率も増加をしている。

質疑応答
日弁連「NHKの番組でこの町の子ども達の大多数の健康被害があるといわれているが」
市長「それは正しい報道だった。事実、大人も子どもも低線量被爆で苦しんでいる」

【コロステン市中央病院・外来クリニック】
NHKの番組で重要なインタビューに応えておられたザイエツ医師(1986-2010年まで院長)が話をしてくれた。

事故後、甲状腺の疾患が増えている。殊に5年後から若年性の甲状腺癌の増加あり、その他には甲状腺の自己免疫疾患が急増している。

癌や甲状腺疾患の他には、血管の脆さが主体と考えられる組織的な全身疾患の増加が目立っている。
・動脈硬化による高血圧
・脳血管障害、脳溢血、脳梗塞
・心筋梗塞などの心臓病
・神経系の疾患
・白内障
・自己免疫疾患(とりわけ甲状腺に多い。橋本病)
・免疫能の低下した子どもの増加
・先天性障害がある子どもの増加(心房中隔欠損など)

これらの低線量被爆に因ると思われる疾患の原因は、食生活に原因があると思われる。
この辺りは、90年代の財政危機により除染が徹底的に行えなかった地域が多く、また食物は時給自足、森で採ったベリーやキノコがよく食される。

質疑応答
「被災者の採血検査の必要性を感じていているのだが」
ザイエツ医師
「私たちの国も今から思えば沢山の失策をしてきました。ですの日本でもそういうことがあるでしょう。あなたの言うように、血液検査をしていないということは、未来への準備が大変に足りないということです」
自己免疫疾患専門医
「コロステンでは自己免疫疾患が高率に増加しています。血液検査をせずして、何が分かるというのでしょうか。ここでは問題のある子どもには年に1回、なければ2年に一回、事故以来血液検査を継続的に行っています」

30代の現院長(整形外科医)
「子ども達の健康状態が悪くなっているのは事実だが、この間、ライフスタイルの急激な変化があった。以前の子ども達は外で遊んでいたが、今の子ども達は家でゲームなどをしている。こうした変化により、一概に子どもの状況を比較はできない。
また、財政状況がよくないことから、医療費が逼迫しているのが現状である。」

【コロステン市中央病院・入院部門】

コロステン州周囲の人口10万人をカバーする中核病院。入院・手術施設のある病院。
ここで原発認定証の患者が悪くなれば、その上位の医療機関へまわす。例えば甲状腺疾患や明らかな癌などは回す。後述するが、牧師さん一家も半年に一回はキエフの健康センターに母と息子が行っている。
ここでも、40代の院長の口が重い。
「子どもたちの健康被害について、事故前と事故後の明瞭な線引きはできない、なぜならば今と昔では子どものライフスタイルが違うからだ」
「昔の子どもは野山を駆け巡り、ゲームもしなかったしライフスタイルが違いすぎる」
みたいな事を繰り返すのであった。
ま、ザイエツ医師も必ずしも本当のことを言っているとは限らないが、この日5人の医師に会ったが、どこへ行っても国の財政が逼迫し、医療財政の欠乏により十分な医療がなされていないということを、全ての医師が口にしていた。

  
*****               

そのあと、軍事博物館に行って、町でたった一件のホテルへ。
地球上にはこんなホテルが今でもあるんだなぁ。東欧の匂いぷんぷん、毛布もない、ベッドマットもない、ベッドもめっちゃ狭い、ものすごいホテル。まるでここだけ時が止まっているかのようだ。
19時半からみんなで揃って夕ご飯。ここで初めて全員揃った。
そのあとは青木秀樹弁護士の部屋で、部屋飲み。弁護士たちのディープな話に下戸の青木はシラフでつき合うが、とても興味深い話しの連続。
さて、部屋に帰ってなかなかお湯にならないシャワーを浴びる。鉄錆で真っ赤な水が出てきた。それにもめげず髪を洗って、鉄錆くさい頭を乾かして、その後、眠剤を飲むもなかなか眠れない。

何故だかものすごく緊張する部屋だった。油断していると東側のスパイに毒殺されそうな雰囲気とでも言おうか。
しかし何故だかベッドのスプリングが結構いい感じで、思ったよりも大丈夫だった。
ま、2時間おきに起きちゃったのだけれども。
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2013.5.20

2013年5月20日 月曜日

ウクライナの旅の日記 5月13日(月)

チェルノブイリ原発から3キロのところに、プリピァチという町があった。
原発事故直後に、この町からキエフに避難した人たちで作っている「ゼムリャキ」というNPOの方々のお話を伺った。
恐ろしく良くできる日本人の通訳も入れてだが、私たち一行16人と「ゼムリャキ」の方々7~8人との会談は3時間を超えたものとなった。
わたしが一番お聞きしたかったのは、医療のことについてだ。特に直後の医療体制がどうだったのかをどうしてもお聞きしたかった。

午後から行った「チェルノブイリ博物館」でプリピァチの町のデータを知り、わたしは立ち尽くしたのだった。
人口が50000人、うち子どもが17000人。年間1000人の新生児が誕生していた。つまり月に80以上のお産があった町だった。プリピァチ市の平均年齢は26歳。

そうしてプリピァチ市の被災前のビデオを見ると、いわゆる高級なホワイトカラーの家庭の人々の暮らしが映っていた。
1986年あたりでは、世界でも裕福な暮らしぶりだったにちがいない。恐らく東ヨーロッパではピカイチの生活水準だったことだろう。
プリピァチ市は、チェルノブイリ原発で働く人々が居を構えていた、若さと希望に満ち溢れた新興都市だった。
それが1986年の4月26日の事故で一転する。翌27日の日中に、たった1時間で荷物をまとめるようにとの指示があって、用意された1200台のバスと、1500座席の列車3台に積み込まれて避難の旅立ちをしたのだった。
一行のバスの列は3kmにも及んだという。3日で帰れるからと言われてプリピァチの人々は町をあとにした。

そうしてプリピャチからキエフに避難した人々はNPOを作り、互いに生活を支え合うようになる。やがて日本やヨーロッパなどの支援団体とのパイプを持つようになった。今でも日本の支援団体と深く結びついている。
あの事故から四半世紀が過ぎた頃に、福島原発の事故が起こった。時を経て、原発事故が日本で起こったのだ。だからこそ、私たちの立ち入ったロングインタビューにも快く丁寧に応じてくださったのだろう。

「プリピャチからウクライナに避難した者は赤ちゃんから大人まで全て、被災後2ヶ月間のうちに健康調査を終えました。幾つかの血液検査などですが、今でも年に一回は血液検査などの検診を受けています」

「原発に因る健康被害は、子や孫といった後の世代に引き継がれます。子ども達はみな免疫能が弱いのです。事故から27年経って、そのことに私たちは直面しています。日本の方々へぜひとも伝えたい事は、次世代の健康管理をしっかりと行うことが必要です。これはチェルノブイリ法に盛り込めなかったことなのですが……」

「私たちは日本のみなさまに大変お世話になってきました。今度はお返しをする番です。ウクライナ政府が日本を助けると打ち出したなら、私たちは喜んで日本の子どもたちを受け入れます。どうぞいらして下さい」

私たち一行は、何人かの方々とハグをして別れた。暖かく、励ましてくれるようなハグだった。

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2013.5.19

2013年5月19日 日曜日

久しぶりの定点観測

明日からは、暫くウクライナの旅日記をおおくりする予定です。

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2013.5.18

2013年5月18日 土曜日

綿毛とぶキエフの風に吹かれけり
ツバメゆくキエフの屋根のあるところ
橡の花散る坂のまちキエフかな

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