ドクター青木のぞうさん日記

makenaizone主宰の青木正美が、自分の生活の中でできるボランティアとは何かを考え、実行してみよう、そんな四方山話を綴ります。
Dr Aoki's Prescription...

2013.7.4

2013年7月4日 木曜日

参議院選挙が公示された。
何人か知人の改選があるのだが、その前の選挙のことがどうしても思い出せない。
棄権はした事がないので、投票には行ったはずだし、その知人に一票を投じたはずだし、でもって彼は今回改選を迎えているのだから、嬉しい当選もしたのだ。今さらながら、何を寝言のように言っているのか、と、我ながらそう思うのだが、どうしても2007年の参院選の記憶がないのだ。ポッコリ欠落しているのだ。

少しだけ考えて、理由が分かった。
選挙の少し前に、「中越沖地震」が起こったのだ。7月の3連休の最終日の朝だった。
軽井沢のマンションで寝ていたわたしは、飛び起きた。
この時、柏崎刈羽原発で火事が起こった。

中越地震が起こった2004年にボランティアに入って長岡にはご縁ができたのだが、再び地震の被害に遭われた方々もいるかもしれない、だから飛んでゆかなくてはならないと、心では思いつつ、そのままになってしまった日々があった。
そうだ。行くか行かぬかの逡巡があって、選挙どころの話ではなかったのだった。

思えば、あの時の報道は、本当に小さいくて131ヨウ素が出たなどというのは、MLで回ってきたものだったような気がする。マスメディアが流したのではなくて。
それで、情報が殆どなくて、ぐにゅぐにゅ悩んだ7月だったのだ。

あれから6年が経ったのか。
あのとき、もっともっと喉が張り裂けるほど叫んでいたら………
それでもっともっと皆が騒いでいたらどうだったのだろう。
いやいや、わたしは充分に騒いでいたつもりだったが、結果は何も変わらず311に突入してしまったのだった。

さて、参議院選挙が始まった。
しからば嘆くのは、もう少し後にするとしよう。

IMG_4472


2013.7.2

2013年7月2日 火曜日

今夜は、気の置けない友人たちと久しぶりの食事@赤坂。
夜の赤坂で、笑いあり涙ありの4時間程。中華料理と梅酒のロック2杯。
ここのところ原稿の〆切が重なって、寝不足かつ体調もイマイチだったのだが、このメンバーで会うと恐ろしくミラクルな事が起こったりして、ストレスがほぐれてゆく。

そうだ。今日は久々に、赤坂プリンスを見かけた。もう、殆ど解体は終わっていて、驚いた。あの解体方法は、余りにも画期的だ。
原発輸出なんかより、確実に喜ばれるから、あの「ビル解体ショー」を、まんま輸出すればいいじゃないか。ショーにもなるし、経費も節約、安全性も約束されるのだ。何も言うことなしだ。でもって、皆に喜ばれること間違いない。
それで、いったれいったれ、とちょっと今夜は酔っぱらってます。

さてと、ところで東京電力は柏崎刈羽原発の再稼働に向けて、原子力規制委員会に審査申請を行う事にしたらしい。

これに対して、新潟県の泉田知事が絶対に反対の意志を示している。
理由は、福島第一原発の事故が未だ収束していないこと。
事故の検証が不十分であること。
事故当時のテレビ会議のVTRの全公開もなく情報公開されていないこと。
事故の責任を未だ誰も取っていないこと。
こうした中、地元に何の説明もなしに再稼働の申請をするなど、立地地域と信頼関係を築く意思があるのだろうか、と。

近来稀に見る、至極まっとうな異議申し立てであると思う。

泉田知事は、あの311の最中、官邸・東電本社・福島原発というテレビ会議をリアルタイムで見ていた、たった一人の自治体の首長なのだ。
その体験がどれほどのことだったのか、以降の泉田さんの言動からうかがい知ることができる。

しかるに、彼が使う「責任」という言葉の意味は、余りにも重いのだ。

IMG_4453


2013.6.30

2013年6月30日 日曜日

引き受けてしまった原稿の〆切が今日であった。
それで明け方、ドライブに出た。

わたしは頭を切り替えるために、ドライブに行く。
昔からそうなのだが、運転している時には何も考えていない。
というか、考え事をしていると事故につながるので、で、若い頃、実際に考え事をしていて大きな事故に遭ってしまったので、頭を空っぽにしてハンドルを握ることにしている。

今朝は霧雨が降っていたので、ほどなく切り上げてきたのだが、江東区のウォーターフロントの方は、まだまだどんどん開発が進んでいいるのだなぁ。

どこまでゆけば、この国の開発への欲望が納まるのだろうか。
原稿のことは忘れてドライブに出たのだが、ウォーターフロントへのドライブで違うモヤモヤを背負って帰って来た6月の晦日の朝だ。
IMG_4441


2013.6.29

2013年6月29日 土曜日

「ツール・ド・フランス」が始まった。
100回の記念大会だそうだ。

この季節、これから3週間、毎晩楽しみに大切に自転車のロードレースに見入る深夜だ。
今年も新城幸也が出場している。

沖縄出身の新城幸也は、福島3兄弟の福島晋一選手が石垣島で練習している時に、その才能を見初めた選手だ。新城選手は若い頃からフランスに留学して、現地で揉まれて揉まれて才能を開花させた。今年も何かやってくれるに違いない。頑張れ!新城幸也!

そういえば今年から放送の実況陣がフランスに飛んで、現地から生中継をしている。
何にしても楽しみな21日間の始まりなのである。
IMG_4366


2013.6.28 福井地震

2013年6月28日 金曜日

1948年の今日、6月28日、福井地震が起こった。

M7.1 死者・行方不明者3769人。この地震を機に気象庁は「7」という震度を制定したぐらいの大きな地震だった。

この頃の日本の災害史をみてみると、敗戦の年を挟んで1944年に東南海地震 M7.1、
1946年に南海地震M8が起こっている。

そうして漸く復興の緒についた福井を襲ったのが、48年の福井地震だったのだ。

今、若狭湾に林立している原発群の下には、活断層が通っているかもしれないと調査が行われているが、そもそも活断層とは何なのか。

活断層とは、40万年前までに、そこで少なくとも一回は地震があって、震源断層面がズレた、その断層のことを指す。つまり、過去にそこで「一回は地震があった」という、一証拠に過ぎない。

もっと言えば、大地震が起これば、必ず活断層が生じるのかといえば、答えはNOである。大地震が起こっても、その地震の未来に活断層を残さない地震も無数にある。
だから「活断層が無かった」イコール「地震は起こりえない」、という訳では決してない。

わたしは「活断層」と「皮膚のケロイド」が似ていると思う。ケロイドは手術や怪我や火傷に因って皮膚が引きつれて、皮膚の表面が盛り上がる。
でも、同じところにキズを負ってもケロイドにならない事もある。だから、私たちの指や手に、ケロイドが全く無かったとしても、指を切ったことがないとは言え無い。ケロイドにならなかった切り傷は無数にあるはずだ。
ケロイドという「活断層」が残らなくとも、その場所は切り傷という「地震」が起こったことがある可能性は大いにあるのだ。

話を元にもどそう。
「活断層」がなくとも、その場所は「地震」が起こった可能性は大いにある……というような、地震学の基礎中の基礎的な問いかけが、原発に対してもっとあっても良いのではないか、とわたしは思っている。

わたしは医療者に対して、いまこそ「予防原則」をもって未来に対峙してゆこう、と呼びかけているところなのだが、地震学者に対しても同じ事を言いたい。原子物理学者や社会学者にも、だ。

私たちは初めて、福島第一原発での事故を目の当たりにした。以前にも書いたが、私はこれほど惨い医療不信が起こるとは思ってもみなかった。
地震学の専門家も原子力の専門家も、このような事故の顛末を想像していただろうか。

そこで次の大震災について、殊に南海トラフが動く前後に、大きな内陸地震が多発するというこの国が、何度も何度も経験してきた事実を鑑みて、最悪の事態を想定した中央防災会議であったはずだが、河田惠昭氏はなぜか原発の災害についてはスッポリと「想定外」とした。

あれだけ最悪の想定を徹底している河田氏が、原発の被害だけを想定しなかったのは何故なのか。しなかった、というよりは出来なかったのではないだろうか。
であれば、「原発震災の想定は出来兼ねる。なぜならば、次の南海トラフ地震が来れば、近代国家としての日本は終焉を迎えるからである。システム自体が壊れた国の元では、被災者支援や廃炉作業などは全く望む事はできないだろう」ぐらい言って欲しかった。

否、河田氏だけを責めても仕方が無いが、河田氏は例えば日本学術会議に、この国の運命を左右する南海トラフ地震とその前震と余震に対して、最悪の想定を出して欲しいと要望したらどうだっただろうか。
日本芸術院にでもいい。日本のあらゆる芸術・文化が、寸断され消失する可能性が高いのだが、一度最悪の想定をしてみて欲しい、と。

この国の高名な学者たちは、原子力発電に関してNOという勢力に「左翼」などというレッテルをつけてキケン分子扱いするこの国のエライ人とは、ケンカをしたくないのだろうと思う。

しかしわたしは思うのだ。もう、それではダメな時が迫っている。逆に、最悪の想定が出来ない国のエライ人々に、学者たちが自分の英知を振り絞って想定を立てた結果を、もっと厳粛に話しかけるべきだったのではないだろうか。

1605年の慶長大地震、1707年の宝永大地震 続く富士噴火、1857年の安政大地震。いずれも東海道一帯は壊滅的な状況に陥った。
災害から見た日本史で思うのは、容赦無く人々が犠牲になるという事実だ。
それでも、だ。家や町が壊れて人は死んでも、この国の豊かで美しい山河は残ったのだ。だからこそわたしたちは、こうして今を生きている。遺伝子を繋いで。

悔しいが情けないが、今度の大震災では 家や町が壊れなくとも人は死んで、山河は残らない。捨てなければならない。原発災害とはそういうものだということを、あの311でわたしたちは学んだはずだ。

今からでも遅くない。日本に居る人々は一人一人が、一度自分なりの「最悪の想定」をしてみて欲しいと思っている。自分の考えが及ばない分野が、いかに多いのかに愕然とするはずだ。

IMG_4356

ページトップへ Top of page