「雅楽の夕に、」

makenaizoneメンバー笙奏者の宮田まゆみさんの企画で 仙台の国宝大崎八幡宮で開催する、鎮魂と祈念の夕べ。Japanese Gagaku Music Concert for Tribute to Earthquake Victims...

第三回「雅楽の夕に、」  雅楽の古典曲『賀殿』を 生活が、社会が、文化が、順調に回復してくように、との願いをこめて演奏しました。

2013年8月15日 木曜日

芝先生、宮田まゆみさん、伶楽舎による第三回「雅楽の夕に、」が2013年8月13日 開催されました。
震災から3度目の夏です。
宮田まゆみさんからの報告をご覧ください。

8月15日
第三回「雅楽の夕に、」、一昨日 無事に終えることができました。

神戸のぞうさんに続く「とちぎボランティアネットワーク」のぞうさんのことも少しご紹介できたので、東北の方たちにいっそう親しみをもっていただけたら、と思います。

今回は「私たちの復興」を柱に、伊達政宗が国作りに際して詠んだ和歌『入りそめて 国ゆたかなるみぎりとや・・・・』に芝先生が作曲された歌をお客様とともに歌い、雅楽の古典曲で建物が建つときのお祝いの曲『賀殿』を、生活が、社会が、文化が、順調に回復していくように、との願いもこめて演奏しました。
gagaku2013august

大崎八幡宮巫女さん、神職さん、芝先生をはじめ伶楽舎メンバーとともに18人の雅楽愛好の一般の方々が一緒に舞台にのり、雅楽をこのほか『越天楽』など三曲演奏しましたが、またまた感動をあらたにする力強い響きでした。
第三回の今年は宮城県、山形県、福島県、埼玉県、東京都、神奈川県と第一回目から参加くださっている方々に加え、北海道、ドイツ、ニューヨークからのご参加もあり、こちらも大変うれしいことでした。

まずはお知らせ、応援に御礼申し上げます。
ありがとうございました。

宮田まゆみ

 

sendaimiyatasan

こちらは2011年8月 第1回「雅楽の夕に、」のときの 宮田まゆみさん (大崎大神宮にて、「まけないぞう」といっしょに。)


2012年8月13日 第2回「雅楽の夕に、」が開催されました。  

2012年11月22日 木曜日

【makenaizoneメンバー 雅楽 笙奏者の宮田まゆみさんより 2012年8月の 第2回「雅楽の夕に、」のお便りです】

昨年の8月に続き、今年も「雅楽の夕に、」を仙台 大崎八幡宮で開催いたしました。
8月13日(月) 雅楽演奏と 三陸の海苔養殖の方々をゲストスピーカーにお招きし、まけないぞう300頭も販売いたしました。

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「雅楽の夕に、」実行委員会をたばねる 宮田まゆみさんは、世界中を舞台に活躍する笙奏者。大崎八幡宮の神職さん・巫女さんたちに雅楽を教えるため、長年に渡り仙台へ通っています。また、一般参加の方々にも雅楽の指導をしています。
「被災地のことを遠くから、いま、ここで応援しよう」という趣旨でmakenaizoneが活動を始めたときからの、中心メンバーです。
伶楽舎(れいがくしゃ)の演奏家の方々と復興への応援の心をひとつにして、この美しい大崎八幡宮で楽の音を奏で、祈る「雅楽の夕に、」・・・・ 2011年8月の第一回に続き、今年は復興へ向かって力強い歩みを初めている被災地に エールを送る催しとなりました。

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伶楽舎(れいがくしゃ)HPに曲目が記載されています。
こちらをクリック

今回のトークに登場したのは、「奥松島月浜海苔生産グループ 月光」の方々です。
東日本大震災の津波被害により、海上、陸上の養殖施設、 もうひとつの生活の糧であった民宿共に甚大な被害を受けた海苔生産者の方々ですが、「月光プロジェクト」を立ち上げ、「一口オーナー」を募集して資金を集めることによって、共同化し、団結して海苔養殖業の生産再開へと歩き出しているところです。
「一口オーナー 月光の太陽」募集についての情報は、こちらです。

奥松島月浜海苔生産グループ 月光    facebookページ  /  ホームページ

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(以下の説明は、 奥松島月浜海苔生産グループ 月光 ホームページより。)
我々月浜の海苔生産者は、先の東日本大震災の津波被害により、海上、陸上の養殖施設、 もうひとつの生活の糧であった民宿共に甚大な被害を受け、震災直後は各々の事業再建については 全く先の見えない状況でした。

しかし、国内のみならず世界中からのご支援、特に当地に来て瓦礫撤去のお手伝いをして頂いたボランティアの皆様のお陰で、 浜は以前の美しさを取り戻しつつあります。

一方、海苔養殖業については共同化し、団結することで生産再開へ歩き出すところですが、再建資金が不足しています。 そのため、皆様に一口オーナー「月光の太陽」になってご支援を頂く事で、復興への第一歩を踏み出したいと考えています。 是非、ご協力をお願い致します。

時期は年明け後。我々月光の「新海苔(秋芽海苔)」50枚と、「月光一番海苔」50枚を お返しいたします。是非食べ比べてみてください。違いがお分かり頂けると思います!
そして、月浜にお越し頂いた方には、海苔乾燥工場見学(今秋開設予定)にご案内致します。 (事前にメールもしくはお電話080-5566-5392にてお問い合わせの上、 お越しくださいます様宜しくお願い致します)

<「秋芽海苔」とは??>

  • 「新海苔」と呼ばれ、シーズンで最初の時期に採れる海苔です!
  • 厚みがあって噛みごたえがあります!
  • 破れにくく海苔巻きや手巻き寿司などに適しています!

<「月光一番海苔」とは??>

  • 12月末から年明けの海の水温と栄養のバランスが一番良い時期に生産されます!
  • 柔らかく適度な塩味があり、食べると磯の香りが一杯に広がり、リピーターも多数!
  • 一番摘みのお茶の葉と同様収穫量が少なく、貴重でなかなか手に入りません!

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それでは、8月13日当日の様子を、写真でご覧ください。 (続きを読む... more...)


今年の「雅楽の夕に、」

2012年10月4日 木曜日


makenaizoneの原点 仙台(4)「雅楽の夕に、」

2011年12月30日 金曜日


午後4時 いよいよ「雅楽の夕に」始まりました。はじめに震災の犠牲者に黙祷。第1部は「伶楽舎」の方たちと一緒に被災した方々を含む一般人もいっしょのの雅楽演奏。

そのあと、いよいよ第2部のトークセッションです。

大崎八幡宮の小野目宮司さん、村井さん、Dr青木 の3人が被災地支援について語るというものでした。そしてまみまみさんも青木クリニックの患者代表で飛び入り参 加。司会者の田中は自分の経験したこと、阪神大震災で連れ合いを亡くしたことを話しました。「昨日まで元気でいた大切な人を失ったあのときの悲嘆を思うと、このたびの被害の 甚大さにとても他人事とは思えません。遠くに住んでいて被災地に駆けつけることができなくても、いまこのとき、顔の見える支援がしたいと思っている人が日 本人だけでなく、世界のあらゆる場所にたくさんおります。そのことを伝えたくて今日は司会者をさせていただくことになりました」と話しました。

トークセッションの本題は、村井さんの展開されている「まけないぞう」による被災者支援。Dr青木の「東京にいて出来ることをしたい、痛みによりそう医師としての立場からmakenaizoneを主宰」の話。まみちゃんは「病気の痛みに苦しみながら、まけないぞうに出会って元気をもらい、こういうかたちで支援に参加できるようになったこと、そしてアメリカの友人たちへも紹介した経験」について。
たくさん話すことのある出演者ばかりだから、司会者としては制限時間内におさまるかな?と心配でしたが・・・なんとか予定の時間におさまりました。
わたしの横におられるのが小野目宮司さんです。大崎八幡宮では震災から今まで、神社をあげて被災地へ物資を届けたり、コンテナハウスをほうぼうに建てたり、「地域の人々の集まる場」としての各地区のお宮の再建へ向けて、力を尽くしておられるそうです。

第3部までの休憩の時間にも、もう「まけないぞう」を求めてくださる方々の列ができていました。
ご年配の方が 「このあいだまで私も病気だったのです、でももう治ったから今日は伺いました 素敵な音楽にまけないぞうさん。何かできることのきっかけを作ってくださっ て、ほんとうにありがとう。あなたたちもお元気でお過ごしくださいね!がんばって」と激励してくださいました。ほんとうにありがたいですね。

芝先生の龍笛 独奏。

芝先生の曲に 宮田さんが振り付けをされたオリジナルの「青葉の舞」で 第三部が終了。
ほんとうに充実した内容で 会場の心がひとつに溶け合いました。
被災地の厳しい現実に心ふさがれながらも これからのmakenaizoneの真っ直ぐに伸びる道を、こんなに素晴らしい仲間たちと踏み出していくことのできた充実感で心が満たされて 東京へ帰ってきました。

すばらしいイベントを計画 実現してくださった宮田まゆみさん、伶楽舎のみなさま、大崎八幡宮の皆様、大坪さん、
2日間というとんでもない時間をいっしょに過ごしてくださった村井さん、
ほんとうにありがとうございました。
そして、すごいパワーでわたしたちを引っ張ってくれた青木まっちゃん ほんとうにありがとう。これからも、宜しくお願いします。
ヨーロッパ担当も「遠いところの代表」として参加できて光栄でした。


makenaizoneの原点 仙台(3)津波の被害を受けた地域へ。村井雅清さんとの時間。

2011年12月29日 木曜日

仙台の2日め、13日(土)朝は、大型マイクロバスのタクシーで、津波の被害を受けた名取川・仙台空港周辺の地域へ。

Dr青木曰く「被災地へ入るときは、何かのお役にたつために入るのが基本。見学の対象ではありません。しかし今回は例外です。自分の目で見て、これからわたしたちがmakenaizoneを通してやっていかれることをちゃんと考えなければならない」。

仙台空港へ向かう道から見る水田は、新幹線の車窓から見た水田とは様子がまったく違いました。何も植えられない広大な田んぼの跡が茶色の荒れ地になって広がっています。

既に復旧している空港を過ぎて海岸方面へ向かう途中、松林は塩害で黒く立ち枯れています。運転手さん曰く、いまは雑草が青く生えているが直後はモノクロの世界だったそうです。
亘理町荒浜地区へ向かう途中の 曲がり角はコンビニだったそうですが、今は跡形もありません。コンビニのところの交差点で車が渋滞しているところを津波が襲ったそうです。

「この先の橋の 上へ上がったひとは大丈夫だったが土手に上がった人は川が溢れて流された」ということでした。ほんの数メートルの違い。生と死が紙一重だったのですね。

荒 浜小学校は屋上に避難して助かったそうです。

現在は片付けが進んだため、瓦礫の山がところどころにボタ山のように大きくそびえています。

Le lendemain matin… c’est à dire le 13 août dans la matinée, nous avons été faire un petit tour du côté de l’Aéroport de Sendai et les quartiers sur la côte qui ont été ravagés par le tsunami. Nous avons tous vu tant d’images dans la presse partout, à la TV, dans les journaux, sur l’internet… mais face à ce vide énorme, l’étendue des quartiers entiers anéantis qui nous semble infini, on ne peut faire que de prier. Tant de vies disparues, détruites et tant de souffrance.

 

 

お昼過ぎに八幡宮様へ戻り、そこへ 村井雅清さんも到着。社務所の縁側で「雅楽の夕」のはじまりまでいろいろ話をしました。

95年神戸の震災では自分も被災し仕事も何もかも失った村井さん。そのときから今

まで、被災地NGO恊働センターで日本と世界のあらゆる被災地の支援をしてこられた人です。
話には聞いていたけど・・・なんという力強い しかし優しさのあふれる 迫力ある方なんだろうか!
実物の村井さんにお目にかかってすっかり納得した田中でした。
テレビで拝見する厳しさも、仙台でいろんな話をして和んでいた優しい笑顔も、両方村井さんなんですね。
この力が、たくさんのすばらしい人材を結集し、組織をまとめあげて被災者の苦しみに寄り添う源泉なのだと納得しました。
すばらしい出会いに感謝感謝です。

Nous sommes revenus au temple et on a eu le temps de discuter ensemble avec Monsieur Murai, l’organisateur du projet ‘Makenai-Zô’ . Dans la table ronde, il va expliquer l’histoire de ces éléphants. Ils sont nés en 1995 à Kôbe et ils ont servi à apporter secours à plein de sinistrés de différentes régions au Japon et dans le monde entier.

 

村井さん、午後の「まけないぞうトーク」では、被災者の方々にぞうさんの作り方を教えるやりかた=一枚のタオルから糸と針の手縫いでぞうさんの形を作るや りかたを説明することになっています。
リュックのなかから「順番に完成するまでのぞうさん」たちを取り出して縁側に並べていました。

手を使う仕事を通じて被災者の悲しみ、苦しみに寄り添っている被災者NGO恊働センターのスタッフの方々。

細やかな毎日の積み重ねが、この無限に広がる荒涼とした深い悲しみに潤いをもたらしますように。長い時間がかかるけれども、一歩一歩進めていくことの大切さが、ふわふわの可愛いぞうさんから感じられました。

Ensuite nous sommes revenus au temple Ôsaki Hachiman-Gû pour notre événement principal, ‘Makenai-Zô Talk’ (la petite table ronde qui présentait  ‘Never Give-up Éléphants’), qui a eu lieu dans le cadre de l’après-midi de Gagaku.

Pour expliquer aux participants comment son association entre en contact quotidien avec les personnes sinistrés – en leur proposant ce petit travail manuel très simple – Monsieur Murai a apporté des éléphants ‘de différents stades de fabrication’.

C’est ce travail qui permet aux sinistrés de passer un petit moment ensemble, complètement absorbées par le côté si ‘kawaii’ des éléphants.  Ils sont très doux au toucher, chaque éléphant aura un visage différent… en plus ce travail leur apporte un peu d’argent immédiat.

 

村井さんのリュックの中から説明に使うため用意してきた「作る途中のぞう」さんたちが出てきました。「これが鼻を作るところで・・・」と順番に並べている村井さんとDr.青木。Dans la table ronde, M.Murai va expliquer  comment les membres de son association apprennent aux sinistrés la manière  de confectionner les éléphants. C’est ce travail qui crée des liens entre eux, qui leur apporte un peu de temps à partager avec les autres.

 真剣なまなざしで「ここのところをよく縫っておかなければいけないんですわ」と説明してくださった村井さん。
‘C’est important de bien coudre ici…’, expliquait Monsieur Murai.

 

いつもお守りやお札を売っているところに今回は「まけないぞう」が500頭やって来ました。岩手の遠野を拠点にする「被災地NGO恊働センター」のネットワークによって、東北の被災者の方たちがほうぼうの仮設住宅や避難所で作ったものです。

 

さて、雅楽の演奏家グループ「伶楽舎」の方たち、そして巫女さんたちは本番前のリハーサル。この間に、由緒ある本殿の建物を案内していただきました。桃山時代の技術と芸術の粋を尽くした国宝です。日光東照宮よりも古いということです。

En attendant le début du concert-atelier de Gagaku, les musiciens et les danseuses répètent et préparent leur performance. Pendant ce temps-là, nous avons pu visiter le magnifique bâtiment du temple. Ce sont les mêmes artisans qui ont travaillé pour la construction du temple Tôshô-Gû à Nikko qui ont contribué pour ce temple à Sendai. C’est un bâtiment en bois peint et décoré qui date de 400 ans, du ‘top niveau’ de l’époque.

舞のリハーサル中の巫女さんたち 段取りを確認してくださる大坪さん 指導の宮田さん・・・・
熱中症が心配と水を配っていたDr 青木

 

 

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